チベットらしきアジアの山奥の寺院にやってきた、ドイツ軍らしき軍隊が、寺の長老らしき人物に、自分達が集めている黄金のパネルの最後の一枚を差し出せと銃で脅す映画の話
モンゴルへ戻って、一週間が経ちました。
日本にいると、日本の暮らしが普通だと思うのに、こちらへ戻ると、-30℃や凸凹のアスファルト、飛び交うモンゴル語の方が普通だと感じられるから不思議です。
とはいっても、日本に戻り、自分の部屋で目覚めた最初の朝は、見慣れた風景に、一瞬、モンゴルのことばかりでなく、ここ10年ほどの出来事が、全て長い夢だったような感覚にとらわれました。
さて、またもや映画の感想などを。
日本へ戻る機内で観たのがコチラ。
最初、別の映画を見ていたのですが、斜め前の座席の人の観てる画面の方が面白かったので、映画を止めて、改めて観たのがこちら「GODZILLA」です。
ちなみにその最初に見ていた映画は、タイトルは覚えていませんが、チベットらしきアジアの山奥の寺院にやってきた、ドイツ軍らしき軍隊が、寺の長老らしき人物に、自分達が集めている黄金のパネルの最後の一枚を差し出せと銃で脅します。
すると、それを見ていたイケメンが、寺院の外観を飾っていたロープを自由自在に操って、あっという間に軍隊をやっつけ、さらに、ロープに引っ張られて、テント型の寺の天井を覆っていた幕がずり落ちると、イケメンはいつのまにやら、天高くそびえる仏像の肩に立っていて、そこから寺の中の軍人に矢を放ち、見事、長老は助かります。
タイトルを覚えていなかったため、それと気付かないまま、帰国便でも、またこの映画を選んでしまったのでした。
「・・・また、お前か・・・」
気付いた時の、脱力感。
努力はしたものの、結局、同じ所で停止ボタンを押すこととなったのでした。
さて、ゴジラですが、実は生まれて初めて見ました。
ずっと、ウルトラマンにやられるべき怪獣が、なぜ主役を張っているのか疑問だったんですが、ゴジラってイイモンだったんですね。
小学生の頃、まったく同じ疑問を従兄弟にぶつけ、同じく小学生だった従兄弟が「ゴジラってイイモンやねんで!」と言っていたあのシーンを、走馬灯の如く思い出しました。
CGあふれるイマドキの映像でしたが、敵役の怪獣の全体像があらわになったとき、「あ、こういう風に人が入ってるんだな」と分かり、往年の円谷映画を彷彿とさせられて、なごみました。
ではまた。おやすみなさい。
滞在中に読んだ本
滞在中は、時間のあるときは、本屋やTSUTAYAや図書館を訪れ、日本語を満喫させていただきました。
いくつか面白かったものを、ピックアップしておきたいと思います。
まずはこちら。
イギリス滞在経験のある著者が、海外でも通用する、本物の教養について語った一冊。
滞在当初、言語の壁に悩まされますが、招かれたら必ず参加し、パーティでは絶対に最後まで帰らないなど、根性あふれる言語習得法に、思わず拍手。
「読書」と「旅」、そして「人と話すこと」(だったかな?、すみません、本が手元にないもので・・・)、それらが教養を深め、人生を面白くするのだ!という本書の大筋に、大賛同しながら読みました。
体験にのっとった内容は、具体的で面白く、色々と参考にできるのではないでしょうか。
ぜひ、一読をおすすめしたいです。
上記と同時購入したのが、こちら。
内容は、上記のものと似ていますが、こちらは、脳科学的な見地から書かれている他、より若年層向けの印象を受けました。
要約すると、人生、思い切って、ドンドン行こうぜ!大丈夫、人目なんか気にすんな!それが英雄ってもんだぜ!ってな一冊です(本が手元にないもので。スミマセン・・・)。
オビにある、「狼の口の中へ」というのは、イタリアのことわざだそうで、苦境こそが本当のスタートライン、そこからゲームが面白くなる、という意味なのだとか。
「さぁ、いざ、狼の口の中へ!」みたいに、使われるのでしょう。泥んこまみれの冒険野郎の姿が目に浮かびます。
全く異なる一冊ですが、書かれている内容は、上記の『人生を面白くする本物の教養』ととてもよく似ていると感じました。
著者がかつて、上司から餞の言葉として贈られたという、「圧倒的に上質な異質になれ!」という一文が、とても印象的でした。
あと、本の紹介ではありませんが、面白かったのがこちら。
『高台家の人々』は、テレパスの御曹司とお付き合いすることになった、妄想癖のある女の子のお話でした。
『秘密』は大友啓史監督の作品で、『龍馬伝』で武市半平太を演じた大森南朋さんが、刑事役で出演。劣等感にまみれ、自ら落ちていく刑事を熱演されてました。この人が演じると、醜悪さを隠さない人間の中にも、捨てきれない品が感じられ、それがより役に悲しみを与えているように思います。この役者さんは、本当にすごい。この役者さんが中原中也とかやったら、面白いだろうなぁ。
さて、もちろん、内容も面白かったのですが、この2本のDVDを借りてきたとき、コタツで暇そうにしている母に、
「DVD借りてきたけど、観る?」
と尋ねたところ、
「どんな話なん?」
とのことだったので、
「ええっと、こっちは、ちょっと未来の話で、死んだ人の脳から、その人が生前に見たものが、見られるねん。それで、家族を殺した死刑囚がおんねんけど、なぜか、殺された長女だけ、遺体が見つからんくってな、死刑が執行された後で、長女の遺体を捜すため、死刑囚の脳を見るねん。そしたら、なんと、家族を殺した真犯人が別におることが分かるねん」
と、『秘密』のあらすじを説明したところで、母から『高台家の人々』が観たい、とリクエストがあり、そちらを先に観る事に。
やがて、物語も進み、ラブコメもそろそろ佳境という頃、突然、母からこう聞かれました。
「・・・なぁ、これ、人いつ死ぬん?」
え!何?ずっとそっちだと思って、見てたの!!?
こんなけほわんほわんしたストーリーで、いきなり、ここから連続殺人とか、ましてや、脳みそ見るとか、あるわけないでしょ!
というわけで、今日はこの辺で。
今、日本もかなり寒いそうですので、皆様、どうぞ、ご自愛ください。
ウソか本当か分からないけれど、昨日聞いた衝撃ニュース
さて、昨日、モンゴル人のEさんと、巷をにぎわす様々な事件について、話していた時のこと。
Eさんが、すぐには信じられないような話をしてくれました。
以下、Eさんのお話です。
つい先日、モンゴルで、数人の男性が、集団で亡くなっているのが発見された。
死因は、酒に酔っぱらったため、とされた。
当然、酒に酔ったくらいで死ぬのか、という疑問がわくが、現場には、無数の酒の空瓶が転がっていた。
そして、その中に、一本、洗剤容器が混ざっていた。
そのため、酒に酔って前後不覚になった彼らは、酒と間違えて洗剤を飲み干し、亡くなったとされた。
・・・そして、この酔っ払いの死亡事故には後日談がある。
モンゴルでは、子供達の多くが、長期休暇を、祖父母の暮らす田舎で過ごす。
今冬の予想を上回る寒さにより、モンゴル政府は、子ども達の冬休みを延長するかどうか、話し合っていた。
そこで、学校が始まる直前まで、田舎で子ども達を預かっていてもらいたい親達は、子ども達を迎えに行くべきかどうか、政府の決定を待っていた。
だが、政府から発表があると言われていた日、何の発表もされなかったため、親達は、冬休みの延長はないと、田舎から子ども達を連れ戻した。
しかしその翌日になって、政府から、冬休みの一週間延長が発表された。
親達からは当然、「なぜ、昨日、発表してくれなかったのか」と、クレームが出る。
それに対する、政府の返答はこうだ。
「昨日は、酔っ払いの死亡事故があって、政府では、一日中、その話をしていた。」
出国前夜
年末年始を日本で過ごし、先日、再び厳寒の地へと舞い戻ってきた、自他共に認める酔狂な私。
日本を出国する前夜、モンゴル仕様の財布へ中身を入れ替えていた際、日本滞在中に受け取った様々なレシートが出てきました。
レシートの内容自体は大したことないものばかりでしたが、その1枚1枚を見直しながら、改めて、楽しい滞在だったことを思わされました。
姪っ子たちも大きくなり、もう、以前のように「だっこして!」「滑り台して!」なんて言いません。
公式を使わないと解けないような、小難しい算数の宿題を、教えて欲しいと持ってきたりします。
昨年、生まれた甥っ子は大きくなり、呼ぶと、嬉しそうにハイハイしてきました。
スーツケースを開いて、次から次へと出てくる土産に、母親である妹が、驚きの声を上げました。
面白いものを見つけると、ついつい「姪っ子たちのお土産に」と買ってしまい、それが気付かないうちに、結構な量になっていたことに、はじめて気が付きました。
すぐに大きくなってしまうこの子たちの大切な時間を、少しでも長く一緒に過ごしたいと思いながら、いつも遠く離れ、旅立っていく自分の生き方に、胸が痛まないといえば嘘になります。
そんな時、いつも思わされるのは、聖書に出てくる、ハンナの祈りです。
彼女は乳離れしたばかりの我が子を、約束どおり、神にお仕えする者として、祭司の元に捧げました。そして、その後は、一年に一度だけ、小さな上着を作って、息子に会いに行きました。
聖書には何も書かれていませんが、どれほどの胸の痛みだっただろうかと思わされます。
つかの間の再会の喜びと、すぐにやってくる別離の悲しみとで、おそらくその邂逅は涙涙だったのではないでしょうか。
けれどもやがて、彼女の息子は成長し、一国を率いた偉大な祭司として、歴史にその名を残すのです。
同じ空間で時を過ごすことはできなくても、祈ることはできます。
転んで泣いた涙を、かけよってぬぐってやることはできなくても、強くなれ、負けるな、強くなれ、と祈ることはできます。
神様がどうか、お守りくださいますように。
私も、いつも、そう祈っています。
空港に着陸し、家族が待つゲートへと向かう喜びは、言葉にできないものでした。
天国ってこんな感じかな、と思わされました。
いつかその日が来たとき、こんな風に迎えられたなら。
最高の人生だな、と思わされました。
本当はもっと別のことを面白おかしく書こうと思っていたのですが、何度書き直しても、こればっかり書いてしまうので、今回はこちらでご勘弁を。
感謝を込めて。
ストレス解消法
海外で暮らしていれば、お湯が出ない、夕飯時に停電する、タクシー代をぼったくられる、凍った道で足を滑らせる、買ったばかりのズボンが破れる、とにかく、なんやかんやあります
片言のモンゴル語で愚痴ってみたところで、惨めさがさらに募るだけ(それはそれで笑えますが)
そんなときは、こちらです
悲しくてやりきれない 怪しい彼女--多部未華子 歌唱シーン映像(歌詞付く)中文字譯
THE自己憐憫ソングに、蛇口をひねってもお湯が出ないやりきれなさを込めて熱唱すれば、そんな自分に笑いがこみ上げてきます
おすすめです
≪備忘録≫
『DZ』は、『MONSTER』(浦沢直樹)+『パラサイト・イブ』(瀬名秀明)でした
『MONSTER』が全然オチなかったのに比べ、こちらはラストで一気に伏線を回収し、見事な結末でした
が、キャラクターの差でしょうか?『MONSTER』の方が面白かったなぁ・・・
見渡す限り古書オタクのオヤジでしたが、面白かった
戦後の混乱期+神田神保町+謎の取り合わせは、絶品
マンガの映画化はもういいから、こういう作品こそ、映像化してほしい
く、暗い・・・
なんだ、この暗さは・・・
幽霊が皆でワゴン車に乗って、どうにもならない過去を見て、「どうにもならないんですか!」って言って、皆で泣くっていう・・・
・・・・・・
さようなら、11月
皆様、ご無沙汰しております
私はこのところのバタバタが一気に一段落し、ホッとしています
さて、我が心のオアシス、モンゴル日本センター
ほぼ週一で通っている図書室で、いつものように本を借りようとしたら、受付の方から、こんな吉報を頂きました
「皆で相談した結果、文庫本が他の本と同じ貸し出し料というのは、高いのではということになりまして。これまでは、本の貸し出し料は一日400トゥグルグ(約20円)だったのですが、12月からは文庫本は一日100トゥグルグ(約5円)に値下げすることになりました。ですので、どんどん借りてくださいね。」
ちなみに、図書室で文庫本を借りて行く人間は、今のところ、ほぼ私のみだそうで、ご贔屓いただき、誠にありがとうございます!
モンゴル日本センターの図書室の蔵書は、一見ランダムなようで、それでいて読んでみると、モンゴルにまつわるストーリーが飛び出してきたりするので、とても楽しめます
何となく手に取った本ですが、読んでみたら、モンゴルでした
就職3ヶ月で退職し、プーになった主人公が、学生時代の共通の友人の自死をきっかけに、男友達に誘われ、彼のもう一つの故郷、モンゴル(!)へ旅立つ、という物語です
いやー、これが面白い!
何が面白いかというと、設定もさることながら、主人公のモンゴルの嫌いっぷりが、もう(笑)
行けども行けども、モンゴル「あるある」の連続で、それに対し、主人公が一々嫌悪を顕わにし、モンゴルに馴染む気配は一切なし(モンゴルが舞台なのに!)
せっかくモンゴル人のお母さんが作ってくれた料理も、「不味い」と心の中で悪態つき、手を付けません
ゲルのリゾートホテルで、設備の不備や騒音、スタッフの対応の悪さなど、度重なるストレスからとうとうぶち切れ、ヒスを起こして泣き喚く主人公に、男友達は「〇〇はよく頑張ったよ」と言って慰めます
(え!?この女が、いつ、何を頑張ったんだ???)
(・・・いや、待て、もしかしたら、これが、普通の日本人の反応かもしれん)
(・・・ということは、もしかしたら、おかしいのは、・・・私の方???)
・・・そういう意味で、衝撃の一冊でした
モンゴルの大らかさに振り回される主人公と、その主人公に振り回される男友達の面白さがどんどん際立っていく中、時折、シリアス然で登場してくる友人の自死問題が、とにかく、ものすごく違和感を放っていました
日本の無常観を無効化する何か、シリアスをコメディに変えてしまう何かが、モンゴルにはある気がしてなりません
先日、モンゴル人の方から、こんな話を聞きました
「震災の時、お店のものを、誰も盗らなかったでしょう。取っても、ちゃんと、お金を置いていきましたね。あの写真が、インターネットで世界中に流れて、日本の評価がすごく上がったんですよ。」
彼女が、日本人はすごい、日本人はすごい、と言ってくださるので、
「そうですねぇ、ルールを守るのは、日本人の特徴なのかもしれませんねぇ。私の友人に、車が全然来てなくても、赤信号だからって、絶対に道を渡らない人がいますよ。」
と言うと、大笑いされました
さて、備忘録代わりに、最近読んだ本を紹介しておきます
ちょっと残酷なシーンがあり、読後一日ほど、トラウマでした
中央アジアっぽいファンタジーを読むと、ついつい、「すわ、モンゴルか!?」と思ってしまい、造語らしいカタカナを、モンゴル語にあてはめようとしてしまう、今日この頃
星新一は、今読むと、当たり前ですが、 昭和を感じますね
携帯もPCもない時代のSF
宇宙人からも美人からも会社員からも、どこか懐かしい、レトロな香りが漂います
こちらはS先生からお借りした一冊
さすが2013年だけあって、設定も言葉も新しい!
いやー、最近の本って、こうなってるんですねー
ちなみに、テーマは普遍的なものでした
どれほど技術が刷新されようとも、人間の知識欲が究極的に向かうところは、ただ一つ、といったところでしょうか
一気に読んでしまいました
これは・・・何というか・・・
表題の問いに対する答えは、前書きでサラリと数行書かれているのみでした
「時間があったから」って、何だよ・・・
延々と描かれる、どこかで聞いたことのあるような一般論も、発行当時は、目新しかったのかもしれませんね
・・・いやー、本気で知りたかったのになぁ、インド人がなぜゼロを見つけられたのか・・・
表紙にやられました(笑)
では、今日はこの辺で
どうでいい話
いまさらですが、「水曜どうでしょう」が、面白くて困っています
この冬、北海道へ帰られるという方に、ご迷惑だと知りつつも、厚かましく、来年の日めくりカレンダー、頼んでしまいました・・・
本当にすみません・・・
さて、「水曜どうでしょう」というと、いつも思い出す、すっごくどうでもいい話があります
私の友人に、スガちゃんという、「水曜どうでしょう」の大ファンの子がいました
ある時、鍋でもしようということになって、皆でスガちゃんの部屋へ遊びに行きました
スガちゃんは、「どうでしょう」の面白さを熱弁していましたが、突然、こんな話を始めました
ある日、夜勤を終えたスガちゃんが家に帰って一息つこうと、テレビを付けたところ、なんと、その瞬間、画面に知っている顔が映っていたそうです
そして、それが、この私だったそうです(笑)
スガちゃんは、思わず二度見し、テレビに向かって「私、この人、知ってる!」と叫んだそうです
後から分かったのですが、実はそれは、九州の離島にUターンした学生時代からの友人Aチャンが、NHKのドキュメンタリー取材を受けた際に、思い出の一枚として提供した写真でした
私と友人Aチャンは、あるとき、学校主催の夜中ぶっ通しで歩いてハイキングするという、意味のよく分からないイベントに参加
スタートした辺りで、彼氏連れの女の子が、あろうことか、ハイヒールで参加しているのを見つけ、
「いやー、さすがにハイヒールはなめてるだろー」
「このイベントの真の恐ろしさを知らないねー。あーあ、可哀想に。きっと泣き見るねー」
と二人で語っていたのですが、どうしたことか、なぜかその日に限って靴を新調してきたAチャンは、あえなく靴擦れを発症、普通に歩くこともままならない中、ハイヒールの彼女にも遅れを取り、スタッフさん達に励まされながら、だましだまし歩き、やがて夜も明け、もうすぐ昼になろうかという頃、ようやくゴール、疲労と感動とともに、二人並んで記念に撮った一枚でした
離島で暮らす若者の代表として、自身のこれまでの人生を取材されることになったAチャン
NHKから、番組内で使用する思い出の写真を求められ、渡した写真の中に、その一枚が含まれていたわけです
こうして、一瞬ではありますが、彼女の隣に立つ私の姿も、番組内で放送されたのでした
深夜枠の番組だったので、誰も見る者などいないと思っていたAチャンから、放送後に連絡を受け、
「ああ、それねぇ。実は一人見たって言ってたよ」
と返事した私でしたが、込み上げてくる笑い・・・
よりによって、テレビを付けた瞬間に、私を見つけたスガちゃん・・・
互いに面識のない二人によって起こされた、奇跡のコラボ・・・
「なんで、あの写真にしたの?他にもいい写真、いっぱいあったでしょ」
と言うと、Aチャンは、
「あれは学生時代の一番の記念だよ!ほんと、大変だったんだから!」
とのことでした(笑)
「水曜どうでしょう」とは全く何の関係もありませんが、「水曜どうでしょう」の名を聞くたびに、いつもこれら一連の出来事が思い出され、じわじわくるのでした(笑)
さて、自家用車を持たない私にとって、市内の移動手段は、バスかタクシーです
こちらに来た当初、長く滞在されている方々から、「タクシーは恐い!どこへ連れて行かれるか分からないし、強盗に遭う可能性もある」、「バスはスリが多いから、絶対ダメ!」と、バス派タクシー派、両派からアドバイスを頂戴しましたが、今のところ、安価を理由にバスを愛用しています(バスだとどこまで乗っても₮500、約22円。タクシーは1キロで₮800、約36円が相場。だいたい、₮6000~8000くらい支払うことになる)
バスに乗っていると、老若男女を問わず、実に様々な人達が乗り込んできます
コートとマフラーでぐるぐる巻きにされたかわいい子ども達とお母さん、軍人さん、若いカップル、デール姿のご老人、空のペットボトルを詰めた巨大な袋を抱えるおじさん、スマホをいじる学生たち、へべれけの酔っ払い・・・etc
バスに乗っていて、目を引くものの一つは、女性達の髪の美しさです
モンゴルでは、綺麗な髪を伸ばすため、幼いうちに一度、女の子の頭を丸刈りにする風習があるそうで、そのお陰か、女性達の多くは、とってもきれいなロングストレートです
というわけで、こちらでも、私の癖毛は珍しく、クルクルのまんまだと、日本と同様、「パーマをあてたのか?」と聞かれます
私もこの天パ、一度剃ったらどうなるのかなぁ、なんて思わされております
さて、話は戻って
いつもはバス愛用者の私ですが、先週はバタバタと忙しく、ちょっと贅沢にタクシーを使わせて頂きました
タクシーといっても、モンゴルでは、道端で手を挙げて待っていると、一般の人が小遣い稼ぎに乗せて行ってくれるのです
乗ると必ず、運転手に「どこから来たんだ?」と聞かれます
「日本人と答えると、金持ちに間違えられて、タクシー代をぼったくられることがある。韓国人だと言えば親切にしてもらえる」と教えられて以来、「韓国から来た韓国人だ」と答えるようにしているのですが、嘘が付けない私としては、その後続く会話で、いろいろ苦しみます(笑)
先週も、運転手さんから、「そうか、韓国人か。モンゴルへは何しに来たんだ?」と聞かれ、
「え?・・・ええっと、なんだろ、あ、そうだ、モンゴル語を勉強しに来た」
「そうか、韓国では学校へ行ってたのか?」
「ええっと、行ってたよ」
「何を勉強したんだ?専門は?」
「ええっと・・・、専門は・・・、日本語だな」
「そうか、どこの学校だ?」
「・・・え?学校の名前?(ヤバイ、この人、韓国に詳しい人なのか???)ええっと・・・・〇〇(←自分の本当の出身校)だけど・・・。多分、知らないと思うよ」
「そうだな、〇〇か、そんな名前は知らないな。なんでモンゴルにしたんだ?他にもいっぱい国があるだろ」
「え?・・・ええっと、モンゴルが好きだから?」
「モンゴルの何が好きなんだ?」
「ええっと・・・ええっと・・・ええっと・・・何だ、あ、そうだ、チンギス・ハーン、チンギス・ハーンが好きで・・・」(苦し紛れ)
「なんでだ?韓国は、チンギス・ハーンに攻め込まれて、めちゃくちゃにされただろ?それなのに、チンギス・ハーンが好きなのか?」
「(え!そうなの!?知らなかった!)・・・そうだよねぇ、なんでかな?あはははは」
笑ってごまかした次第です
このやりとりをモンゴル語の先生に話したら、「次からは、中国系韓国人か、日系韓国人と答えるといい」と教えられました
なんだか、もう(笑)
あ、そうだ、最後に、今、読んでいる本の紹介を
著者近影が丸まる1ページ使って掲載されいたのが、印象的でした
ではまた!