バーミンガム
皆さん、こんにちは!
金曜日の午後、自宅を出発、いろいろと乗り継ぎながら、土曜日深夜に無事、バーミンガムに到着しました
途中、機材故障があって国際便の出発が遅れ、そのため、その次の乗り継ぎ便を遅らせざるをえなくなるという事態に見舞われたりもしましたが、まぁ、想定内でしょう!
長時間のフライトを支えてくれたのは、隣の席に座った島根から来た女の子とのおしゃべり
ツアーで来ていたそうですが、元々乗るはずだった飛行機が雪で遅れ、急遽、別便になったのだとか(その別便がまた機材故障で遅れたわけですが)
彼女は、フランクフルトで乗換え、スペインへ向かうとのことでした
さてさて
フィンランドから来た子が、「ヘルシンキから4時間で着いた」なんて言ってて、ヨーロッパから、見れば日本って最果てなんだなぁなんて思わされています
ちなみに、フライト時間は直行便で12時間、時差は9時間
もちろん時差ボケのオマケ付き!
肉体的ハンデもさることながら、文化・言語にも壁があります
ヨーロッパ諸国の子達曰く、英語はそれぞれの言語に音が似ているので、比較的学習しやすいとのこと
「日本語は、発音が全然違うね」
と言うから、
「そうだよ。『あ、い、う、え、お』」
とやったら、めっちゃ笑われました
笑われてるだけならいいけど、話すたびにめっちゃ聞き返されてる私
どっち向いても、得する要因が見当たらないぞ、日本人・・・
飛行機もネットもない時代、漱石はさぞ大変だっただろうな・・・
最初の授業に、部屋からそのままスリッパで行ってしまった私
クリフ先生が最後に「他に何か聞きたいことは?」と質問されとき、ソフィー先生という若い女性の先生が手を挙げて、
「授業にスリッパで出るのは、かまいませんか?」と質問
すると、それまで黙って座っていたマクゴナガル先生を優しくした雰囲気のクリスティー先生が、
「授業にスリッパで出てはいけません。火事が起こったとき、逃げ遅れるといけません。それに、何かあって、急に外へ出ないといけないとき、スリッパだと足が寒いでしょう」
と答えられ、イギリスは注意の仕方もスマートだなと思わされたのでした
(もちろん、次から、ちゃんと靴を履いていきました)
ではまた!
ただ今、パッキング中・・・
いよいよ出発が明日に迫り、ただ今、せっせとパッキングしております
20キロに収めないと、超過料金がかかってきてしまうのに、年を重ねるとこだわりも増えるようで、荷物がどうしても減りません
「もう払おうよ。今日は寝よ」という内なる声が聞こえてきます・・・
どうしよう・・・
明日、考えるか・・・
今夜復活!ノアコ(仮)のブログ
皆さま、長らくご無沙汰しておりましたノアコ(仮)のブログが、満を持して、今夜、復活いたします!!(四面からツッコミが聞こえる・・・)
長かったですねー!いやー、長かった!
というわけで、今回は、書かなかった間に出会った、記憶に残しておきたいものあれこれを、ピックアップしておきます
◇読書録(その他)◇
たまたまなんですが、上記の新書を読んだ後、下のミステリーに出会いました
ミステリーでは、パガニーニが愛したストラジヴァリウスなどのヴァイオリンたちが影の主役として登場します
わたしは元々、18~19世紀のイギリスを舞台としたミステリーが大好き
加えて、芸術に狂っていく天才たちの物語もツボ
というわけで、こちらの『悪魔のソナタ』は、すごく私好みの作品でした
音楽の狂気といえば、かつて読んでいて「マジですか」と思わされた作品がこちら
若かりし頃に読んで、「そこまでするかー」となりました
これ以上の狂気には、出会えまい・・・
まとめると、『悪魔のソナタ』は、上質のミステリーであり、最高に私好みでありながら、時代背景や小道具、謎、それら全てがあまりにも定番だったため、「なんか知ってる」、「どっか残念」という感がどうしても最後まで拭えなかった作品ということになりますね
人が作ると、どうしてもこうなっちゃうよなー(って何様だ、お前は)
泣きました(途中、ちょっと寝ちゃったけど)
とっても優しいお話でした
最近、津軽三味線にはまりました
場を盛り上げようとする、やたら明るい曲調にぐっときます・・・
こんなテンション高い歌、歌いたくない時だってあっただろうなーとか・・・
余計なお世話・・・
ここは今から倫理です。 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
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なんかグッときまして・・・
先生の、真剣なんだかふざけてんだか分からない死んだような目が、この物語を深めている、と、私は思っています
主役のエディ・レッドメインという人、どっかで観たなーと思っていたら、『レ・ミゼラブル』のマリウス君でした
魔法の杖を振って、ふわふわっと空中でお料理するシーンが好きです
なぜ、これを観ようと思ったのか定かではありませんが・・・
確か北欧のどっかの国発のミステリー
副題ですが、観終わって改めて「ああ、そういうこと」ってなったのを覚えています
これも、どっかで観たことあるようなお話でして・・・
書いておかないと、観たことも忘れそうだな・・・
こちらに至っては、なぜ、副題が「キジ殺し」なのかさえ、思い出せず・・・
よかったです
途中、主人公が一度、死にかけるんですが、再度生きることを決意するシーンが素敵でした
◇オマケ◇
パッケージの可愛らしさに一目惚れ
これで、お値段なんと2160円!オレンジピールって、字面のごとく、蜜柑の皮じゃないの!?あの、誰もが湯水の如く捨ててるあの部分が!?意味、分からん!!
高級チョコなんて買ったことないから、えらく高く感じました!
迷いに迷って、ドキドキしながら買ったチョコは、姪っこのお誕生日プレゼントになりました
異文化を説明するということ
学校で働いてみて思うこと
海外で教えていた、というのは、一つのステータス、になるらしい
学校説明に来られた私立高校の先生が、「うちには、面白い先生がたくさんいます。(スライドを見せながら)この先生は、カナダで日本語を教えていました」と言っているのを聞いたし、講演に来られた先生が、「僕はイギリスで日本語を教えていました」と自己紹介するのも聞いた
その度に、心の中で、「私はモンゴルで、日本語教えてたけどな」と思う
まぁ、英語圏じゃないから、意味ないな、と思う反面、希少価値は高いな、と思ったりもする
経歴を聞かれ、「モンゴル」と答えると、必ず、一度は聞き返される
それほど、日本とは縁遠い国なのだ
飛行機でたった4時間で行ける国にも関わらず
チンギス・ハーンという、史上最大の領土を支配した王がいたにも関わらず
モンゴロイドと人種分けされ、かつて私たちのお尻には蒙古斑があったにも関わらず
モンゴルについて、ほとんど知らない人が多い
というよりも、「発展途上国」について知らない人が多い
「水道の水が飲めない」
「日本に比べ、物価が安く、レートは変動しやすく、円よりはるかに弱い」
「おしゃれの感覚が違う」
「働くという感覚が違う」etc・・・
とにかく違いすぎるので、何も考えずに気楽に説明すると、ただ勘違いされて、異文化への溝を深めるだけで終わってしまう
私の話だけを聞いて、いちいち、矛盾を指摘してくる人もいる
頭がよすぎる人は、えてして視野が狭くなりがちなのかもしれない
国や文化を言葉で説明するのは難しい
空気のように、当たり前に根付いているから、文化なのだ
日本文化だって、やれ勤勉だとか、やれおもてなしだとか言うけれど、そうじゃないケースなんて、日本にいくらでもある
勤勉なのが日本文化なのではなく、人を勤勉へと向かわせる根本にある動機、勤勉が正しいと受け入れられ、推奨する人々の心、それが日本文化なのだと思う
文化には、多様な面があって、当たり前なのだ
それをある人は勝手に、よい悪いで判断しようとする
自分が育ってきた文化を、唯一無二だと信じ込んでいる人には、異文化は理解しきれないのしれない
でも、そういう人ほど、揺ぎ無く堂々と立っている
面白いなーと思う
朝の挨拶
脳がバグる、というつぶやきを読んで
近頃、教員として学校現場で働いている
毎朝、校門前に立って、登校してくる生徒ら一人一人に挨拶している
私には、昔から、個性際立つ方に渾名を進呈する癖がある
と、思っていたのだが、あまりにも個性豊かに登校してくる中学生達の天然な姿に、渾名は初日でネタ切れた
当たり障りのない例を挙げるなら、「サラリーマン」「野球部」「ウィーン少年合唱団」等等・・・
学校の制服はブレザーで、インナーのポロシャツに、長袖と半袖の二種類がある
まだ多少ぼんやりした頭で、校門前に立っていると、どうでもいい昔のことを思い出してしまう
かつて私は硬式庭球部に所属していた
公式戦で、襟付きのポロシャツを着用することになっていたため、練習でもポロシャツを着ることがあった
ある時、Tシャツもポロシャツも全部洗濯中という日があった
仕方なく、私は親の箪笥を物色した
運良くポロシャツが見つかり、持参
放課後、着替えてみて、初めてそのポロシャツが長袖であることを知った
が、あまり深く考えず、そのままジャージを羽織って、練習に参加した
しばらく体を動かし、暑くなってきたので、私は上に着ていたジャージを脱いだ
「ちょ、何それ!」「なんでなん!」「そんなん、あるん!」「隠すなや~!」
部員達の嘲笑に次ぐ嘲笑
中には涙を流して笑う者もいた
私は脱いだジャージを再び着た
そして、その日は、どんなに暑くても、決して上着を脱がなかった
朝、バグった頭で、登校してくる生徒達のポロシャツを見ていると、ついつい、当時のことを思い出して、笑ってしまいそうになる
異文化コミュニケーション
先月から、教員をしている
教員になろうという情熱など微塵もなかったのに、不思議な出会いに導かれ、今は毎日、現場にどっぷり漬かって、朝から晩まで、走り回っている
これまで学んできた文化は、先生方の教育に対する嵐のような情熱と意味不明なまでのプライドの高さと破壊力抜群の純粋さを前に、早くも瓦解
誰もが時間に追われて忙しくしている上、あくまで男女平等
お茶汲みは、そのものがない
たまに、講演会などで来られた客に対しては、冷蔵庫で冷やしておいたペットボトルをそのまま出す
電話は、その辺の人が取る
他校の先生からかかってきた電話に「お世話になっております」はなく、先生が電話を取って、「こちらこそお世話になっております」と答えている姿は、見たことがない
女性のおしゃれに関しては、すっぴんの先生が多く、服装もシンプルで、カラーは基本黒
髪型も、何もしていない方がほとんど
でも、皆、美人
育児と仕事の両立に奮闘しておられる方も多く、ピリッとした雰囲気を漂わせている
思ったことははっきりと口に出し、おそらく、天然の人はいない
そういうところは、美しくも逞しいモンゴル人女性を思わされる
一方、男性は、おそらく天然の人、多目
朝から晩まで、クラブ活動に明け暮れている方もおられ、奥様のご苦労が偲ばれる(←失礼)
彼らは情熱大陸で生きていて、たまに、同じ土俵に乗り切れず、相槌が「はぁ」で終始してしまうことがある
教員の労働時間が問題視されているが、今の学校で働いてみて感じているのは、誰もそのことを気にしていないということ
先生方にとって、仕事はもはや趣味らしい
校長先生は女性の方で、個性豊かな教員の面々がご自慢のようだ
モンゴル帰りで神学校上がりの私のことも、過分に面白がってくれ、「もっと自分を出して行き」と発破をかけられる
これまで社会経験を築いてきた、どの世界とも異なる一方で、私が十代の多感な時期を過ごしたあの頃とまるで変わらない景色が広がっている
悩んでいる子も、悩んでいなさそうな子も、ふとした瞬間に、私のファインダーに飛び込んできて、私の心の琴線に触れる
私には今年12歳になる姪がいるのだが、あの子が来年、中学生になると思うと、目の前にいる中学生たちの幼い日の姿が見えるような気がしてくる
まだ少し言葉足らずな表現や、そこから飛び出してくるみずみずしい感性
幼稚さはもうないけれど、決して大人とは呼べない、「中学生」という独特の存在
憎たらしいことを言っていても、彼らの未来を信じる純粋さに、胸を打たれる
私に何ができるのだろうか、と日々、葛藤している
大変で、疲れて寝落ちすることも、落ち込むことあるけれど、楽しんでいる
桜の季節と親友の話
満開の桜が目を楽しませてくれた一週間でした
最近、思っていることなどを書き残しておこうかと、気まぐれにPCに向かっております
さて、私には、若い頃、一日バイトで知り合って以来10数年、いまだに連絡を取り合う親友がいます
若い頃からの失敗談やネタが互いに蓄積され、彼女といると笑いが絶えません
そんな彼女には、私のどんな失敗談も、
「あー、ノアコ(仮)さん、またやってる。いつも通りやん」
ということになるようです
ちなみに、絶対に笑うネタが何本かあるのですが、一部をご紹介すると、「旅行から帰宅途中、先に下車したノアコ(仮)だったが、眼鏡をかけていなかったため、電車が発車するまでの間、結構長い間、違う団体に手を振り続けていた」話や、「突然、何を思ったか、血迷ったノアコ(仮)が市民劇団に入団し、誘われるまま公演を見に行くと、最後の最後に、本筋とは何の関係もない太極拳のトレーナー役で、ちょろっと出て来た。それも、聞いていたのと反対の方向から出て来た」、「仕事帰りに待ち合わせしたところ、ノアコ(仮)のパンストに激しく電線が走っていたので教えてあげたら、『うん、知ってる』という、まさかの返事をよこした」など、いろいろあります
さて、そんなこんなで、出会って以来、「変わらへんなぁ」と言われ続けてきた私ですが、今回、一年ぶりに会って、桜を眺めながら、彼女は最後にこう言ってくれました
「ノアコ(仮)さん、変わったね。前は、自分のこと、そんな風に話さなかったよ。自分のこと、『弱い』なんて、絶対に言わなかった。わたしはすごく嬉しい。ノアコ(仮)さんを見てたら、導いてくれる大きな存在ってあるのかもって気がしてくる」
彼女があんまり「嬉しい、嬉しい」と喜んでくれるので、
「まぁ、最終的に60歳くらいで、素直な私になるんじゃない」と言ったら、
「そうやって、いつも話を曲げるのは、ノアコ(仮)さんの悪い癖だ」とのことでした
2年前、モンゴルへ行くことが決まったとき、ワクワクして、自分のことしか考えていませんでした
ずっと願ってきたことだったので、扉が開いた瞬間、鉄砲玉みたいに飛び出していきました
現地でも異文化が楽しくて、カメラ片手に毎日、走り回っていました
「楽しい!楽しい!」
と言ってるときも、
「モンゴルには、日本にないものがいっぱいあるんだよ!」
と言ってるときも、
私のことを思ってくれていた友がいた、ということを思わされました
先日、教会で、あるご婦人が、こう話しておられました
「娘が退職するとき、母親の自分の一存で、在職中から次の働き口を決めさせてしまったけれど、今思えば、焦らさず、ゆっくりと祈り求める時間も与えてあげたらよかったかなぁ、と、思うねん」
上手な言葉は思いつかないけれど、ただ、すべてのことを感謝して、今を大切に生きたいな、と思わされています