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私がアルハンガイでお世話になった友人夫婦、ガンバとトンガー。

トンガリネズミのトンガーに、旦那が「ガンバの冒険」のガンバ。

日本人にとって、聞き取りにくく覚えにくい名前が多い中、初めて二人の名前を聞いたときは、奇跡だと思った。

 

先日からウランバートルへ来ていた二人は、姪っ子と一緒に、今朝、アルハンガイへ帰っていった。

昨晩、餞別代わりに、こちらの百均ショップで買った化粧水を持って行った。

昨日は、バタバタしていて食堂の夕食を食いっぱぐれた上、少し体調が優れなかったのだが、今日のうちに渡しておこうと、部屋を訪ねた。

そのまま部屋に招き入れられ、「ご飯は食べたのか?」と訊かれ、正直に「まだだ」と答えると、食事を出してくれた。

そのまま、なんやかんやと話しているとき、ふと、壁の鏡に映っている自分が目に入った。

日本にいた頃は、いつもいい友人に恵まれていたし、内気な性格は、適当にしゃべってごまかすことができた。だが、言葉の通じない異国で、小手先のごまかしは通用しない。

鏡に映る自分を見ながら、いつもこんな顔ができたら、もうちょっと友達できるんじゃないかなぁ、と、思った。

 

トンガーは、あるときから、こちらの理解力など意に介さずに、どんどん話しかけてきてくれるようになった。

なぜか、そういう風に話されると、色々聞き落としながらも、不思議と会話が成立した。

この人は超能力があるんじゃないか、と思わされる場面もあった。

一方、ガンバとは、会話はほぼ成立しなかったが、考えていることが丸出しのこのオヤジとは、なんとなーく性格的に通じるものがあったのか、適当に話して、笑って、気にならなかった。

 

アルハンガイの大草原の中で、夫婦で協力し合って暮らしている様は、私には、平穏な幸せそのもののように見えた。

だが、それがどれほど天国のように美しい場所であっても、そこに住んでいるのは人間で、彼らを知るにつけ、人が人である限り、悩みは尽きないことを知った。

 

今度、私が日本へ一時帰国するときには、トンガーが自分も一緒に行きたい、と言う。

海を見てみたいのだそうだ。

内陸のモンゴルには海がない。

だから、海の話をするとき、モンゴル人は、老若男女を問わず、皆、子供のような顔になる。

海なんて、見ようと思えばいつでも見られると思っている私は、彼らのそんな表情に、いつもはっとさせられる。

そして、海だけじゃなく、春先の桜吹雪も、梅雨に濡れる紫陽花も、燃えるような紅葉も、この人たちに見せてあげたくなる。

一生懸命生きている人たちに出会うたび、これまで見てきた美しいものを、シェアしたくてたまらなくなる。

 

「うん、一緒に日本へ行こう。」

きっと、色々大変だろうけど。何しろ、トンガーは、モンゴル料理しか食べられない。

以前、パンと目玉焼きとサラダという日本では当たり前の食事にさえ、箸を付けなかったし、コーヒーも紅茶もダメだし、味噌汁も辛すぎる、と言っていた。

ガンバはどうするの、と聞いたら、娘と二人で留守番させるから大丈夫、とのことだった。

 

果たして、一緒に日本へ行くことになるのかどうか。

「マラガーシ、マラガーシ(明日、明日)」のモンゴル人だから、これは約束ではない。今のところ、ただの希望だ。

でも、楽しみである。