もしも、萩原浩『メリーゴーランド』に、モンゴル人が登場したら
以前、T先生が一時帰国された際に、本棚一段分丸々いただいた中に入っていた、萩原浩作『メリーゴーランド』(新潮文庫)。
昨晩、一気読みした。
Uターンしてきた地方公務員が、超赤字テーマパークを建て直す話だ。
地方公務員の親方日の丸体質を面白おかしく描いた一冊だが、私には、「日本」そのものが上手く切り取られているように思え、作家の力量に感心しながら読んだ。
有 川浩の『県庁おもてなし課』が、月9を意識したのような、ほんわかラブストーリーであるのに対し、『メリーゴーランド』は、地方の閉塞感を笑いで包んだド タバタ劇。よくも悪くも常識にとらわれない、地元の暴走族や東京から来た劇団員たちが、結果として主人公を助けていく。
物語は、劇団「ふたこぶらくだ」の座長、来宮が登場してくるあたりから、俄然面白くなってくる。
来宮が主人公に語る、豆男の話。これがまた面白い。
・・・ 舞台は日本の寒村。村人達は古い言い伝えをかたくなに守り、ろくにとれない米を作り続けている。そこへ男がやってきて、豆を植えた。馬鹿にしていた村人た ちだったが、豆男はとれた豆を分けてやり、一躍人気者になる。村人の中に、豆を作るものも現れる。しかし、伝統に固執する老人達は、豆男を嫌悪、村の不作 を豆男のせいにし、噂が噂を呼んで、結局、豆男は村人たちに殺されてしまう。殺される直前、豆男は叫ぶ。「千年先までそうしてろ」。
来宮は、人は誰しも村人であり、豆男である、と言う。
が、しかし、だ。
小説を読んでいる間、ずっと頭にあったのが、この話にモンゴル文化をぶっつけたらどうなるんだろうなー、ということ。
豆男の挿話にしても、米を作る村人、豆を作る豆男、そこに家畜を引き連れてゲルを建てちゃうモンゴル人が現れたら?
人々は最初おそらく、豆男タイプか、村人タイプのどちらかに分類しようとするだろう。
しかし、できない。
なぜなら、彼らはモンゴル人だから。
村人達の説得に、感情もあらわに抗議するモンゴル人。
そして、ゴタゴタの陰で、誰にも気にされず、豆を作って平和に暮らす豆男。
日本を一歩出れば、豆男の考え方も、村人の考え方も、多種多様な文化の一部。
そんなことを思いながら、楽しいひと時を過ごさせていただいた。