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私が捨てた、正しくは捨てざるをえなかった、5つのもの 

ようやく土曜日。週末。ほっとしますね。

今週は、寮内の子供たちの間で流行っている風邪が、私にもうつってしまったようで、どうも体調がすっきりしませんでした。

それに加えて、8月7日から、修理中のために温水が出ず、ほぼ3週間、シャワーは水のみ。

葛藤の一週間でした。

昨日、ようやく、蛇口からお湯が出たときは、天を仰いで感謝しました。

夕べ、ゆっくりお風呂に入れたお陰で、風邪もすっかり治ったようです。

 

さて、モンゴルで暮らし始めて早1年と4ヶ月が経とうとしています。

これまでのことを振り返り、何かネタないかなーと考えていて、私がこれまでに捨てたものについて、書いてみました。

 

その1、羞恥心を捨てる

こうして海外で暮らしていると、「お前は五歳児かよ!」と自分自身に突っ込むこともしばしばです。

言葉が分からない、文化が分からない、常識が分からない。

日本で何不自由なくコミュニケーションできていたのが、嘘のようです。

「言葉は恥をかきながら覚えるものだ」などと言われますが、「どう考えても、代償が大きすぎますよね?」と誰かに問いかけたくなることもあります。

「旅の恥はかき捨て」とも言いますが、住んでしまっている以上、かき捨てることはできません。

こないだも、バスに乗っていて、真向かいに座ったサングラスをかけたおばあさんが(こちらのバスには、たまに、客同士向かい合う形で座らなければならない席があるのです)、やたら話しかけてくるのですが、早口のせいか、何を言っているのか全然分かりません。

仕方なく、

「私は日本人なので、モンゴル語は分かりません」

と言ったら、ちょっとびっくりされて、

「そうなの、私の孫は、学校で日本語を勉強しているから、日本語を話せますよ」

と言われ、私の後ろに座っている子どもを指しました。モンゴル語は分からないと言っておきながら、ついつい、

「へぇ、そうなんですか」

と返事をしてしまったのですが、要するに、そのおばあさんは、ずっと後ろの孫に話しかけていたわけです!

その前提を知って、耳を傾けていると、どうやら、新学期(モンゴルは9月から新しい年度が始まります)に向けて買っておくものについて、孫に伝えているようでした。

のたうちまわりたくなるレベルの恥ずかしさですが、恥ずかしがっていては前に進めません。

 

 

その2、プライドを捨てる

昨年の話になりますが、こちらに長くお住まいの、キリスト教の宣教師、S先生に、モンゴル語が全然上達しないと、愚痴ったことがありました。

すると、S先生があっけらかんと、

「いいじゃないですか、別に話せなくても。どうして、話せないといけないんです?」

「え?だって、海外にいて、その国の言葉が話せないってことは、アホをさらして生きてるのと同じじゃないですか!!

思わず、魂からの叫びが口をついて出ました。

すると、S先生から、

海外で暮らす外国人は、多かれ少なかれ、皆、アホをさらして生きてるんですよ

との答えが。

あんまりな言葉に、思わずS先生の顔をしみじみ眺めましたが、先生の表情はいたって穏やか。

「いいんですよ、別に話せなくても。話せないノアコさん(仮)も、ノアコさん(仮)。マンガが好きなノアコさん(仮)もノアコさん(仮)。そのまま全部でノアコさん(仮)なんです。無理しなくていいんです」

目からウロコの言葉をどうにか咀嚼し、うなるように尋ねました。

「・・・話せない自分を受け入れるということは、それはもう諦めろってことで、それってつまり、もう死ねってことですよね・・・」

「そうですよ。死ぬんです。十字架に。」

「嫌です!死にたくない!」

と叫ぶと、

死になさい!

と、バシッと言われました。

その後、「死ね!」「嫌だ!」「死ね!」「嫌だ!」というやり取りが続いたように記憶しています。

・・・・思い出すと、笑えます。

 

解説すると、言葉を話せず、聞き取れない自分を受け入れるということは、つまり、自身の限界を知り、可能性を諦める、ということです。

「やればできる」というのは美しい言葉ですが、真実ではありません。努力が万能なら、誰もがオリンピックの金メダリストです。

才能がなかったのかもしれないし、年齢のせいかもしれない。環境が悪かったのかもしれない。どんな理由があるにしろ、人間には必ず限界があり、その限界を受け入れなければなりません。

そして、矛盾するようですが、努力を諦めた上で、諦めずに努力すること。それは、いつ吹いてくるのか分からない風を待ちわびながら、帆を上げ続ける船乗りに似ています。

船乗りにできることは帆を上げることだけ。

焦ることさえ、無駄です。

ただ、信じて待つ。

プライドを捨てるということ、おそらく、そういうことなのだろうと、私は理解しています。

 

 

その3、自分を責める気持ちを捨てる

もちろん、ああすればよかった、もっとこうできればよかったのに、という思うことはいくらでもあります。でも、私は自分を責めません。

責めないと決めたからです。

この異国の地で、私くらい私の味方でありたい。

もちろん、周りから違いを指摘されることはあります。

以前は、違いを指摘されるたびに、責められているように感じて、うじうじ悩んでいましたが、

「これが私のやり方ですから」

と言えば、それで終わる話なんだと学びました。

 

 

その4、ネガティブな考えを捨てる

体調が悪いときは、考えもマイナスに傾きがちになります。

そんなときは、「もし今、最高に楽しい気分だったら、私は今と同じ事を考えるだろうか」と自分に問いかけます。

例えば、もし、明日、日本へ帰れるとしたら?

すると、絶対にこんなつまらないことは考えないだろうな、ということが、ごく自然に分かります。そして、体調が悪いと分かれば、次にすべきことが分かるのです。

 

 

その5、主張を捨てる

自分の権利を主張しない、と言い変えてもいいかもしれません。

自分を主張するという行為は、大きな流れの中で、自分だけ踏ん張って、流れに逆っているようなイメージがあります。

とても力がいるし、うまくいかないことのほうが多い。

「でも、主張しなければ、周囲に振り回されてしまうでは」と危惧される方もおられるかもしれませんが、その通り、いまだに日本の常識に縛られている私は、時として振り回されまくります。

 

でも、こうして、周りの人たちに助けてもらいながら暮らしている私は、気付かないところで、きっとたくさんの人を振り回していることでしょう。

そして、その人たちは、私にそのことを主張することなく、黙って振り回されてくれているのだろう、と思います。

ただただ、感謝だなぁと思わされます。

 

以前も書きましたが、物事に優先順位を付け、最優先事項以外には、価値をおかない。それには、自分自身の主張も含まれます。

難しいと感じるときもありますが、日々、楽しみながら、挑戦していきたいと思っています。

 

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(草原の夕日)