昔、ヤリツソザイという人がいた
『耶律楚材』(下)読み終えました。
あまりの面白さに、上巻に引き続き、一気に読み終えました。
金に滅ぼされた契丹の王族の子孫として生まれた、楚材。
金の宰相であった楚材の父は、モンゴルがいずれ台頭してくると読み、金一国のためでなく、天下国家に有用な人物となるようにという願いを楚材に託す。
父の予見通り、小国の小競り合いは、やがてチンギス・ハーンという稀代の天才を生み出した。
あらゆる学問に秀でた楚材は、天文の専門家として、チンギス・ハーンの元で仕えることとなる。
・・・というのが、簡単なあらすじです。
それにしても、「野蛮人」とか「残虐」とか書かれて、ハーン以外のモンゴル人がとにかくひどい。
この本では、モンゴルが世界の最果てみたいに描かれていて、
「あーあ、可哀想に。祖国から引き離れて、こんな遠い、野蛮な国に連れてこられて・・・」
と、涙ぐみながら、ハッとして、
「いや、ちょっとまて。これって、私が今いるココだよ。」
と気付くのでした。
耶律楚材は資料が豊富、と作者があとがきで書いているとおり、とにかく情報量が半端じゃない。一文に、よくこれだけ詰め込められましたね、というくらい、知らない単語が溢れかえっていました。
まぁ、女性目線でもう一つ感想を述べるとすれば、楚材には、妻が二人おり、その生涯において、常に愛妻である後妻と行動をともにしたのですが、長年離れて暮らした妻が亡くなったとき、
「『蝋燭の火が消えたようだ。ふっと消えた。・・・・・・風もないのに』
楚材は呟いた。
『でも、あなたにとっては、どこかで灯っていなければならないあかりではなかったでしょうか』
と貞エンは言った。
『どこかで・・・・・・』
ことばの途中で、楚材は嗚咽をもらした。」(本文より)
なんでしょう・・・。全く、共感できませんでした。
どこかで、蝋燭の火みたいに灯ってるだけで、良しとされる妻、しかもそれを後妻にズバリ指摘されてるなんて、切なすぎると思うのは、私だけ?
死んでも死にきれんわ。
ここで男性だったら、うるっとくるんだろうか?
後半、カタカナの名前が乱立してきて、頭の整理が追いつかなくなりました。
最後に「チャガタイ殿下、薨ず。の訃報が入った。」という一文を読んだ時は、チャガタイなどとっくに死んでるつもりで読んでいたので、
「え?まだ生きてたの?」
と、一番びっくりさせられました。
面白かったのは、皇后トゥラキナのあっぱれな悪役ぶり。
彼女が黒ければ黒いほど、いさめる楚材が光っていました。
蝋燭の火みたいに消えていく女性もいれば、シャンデリアみたいにえげつなく輝いた女性もいた時代だったんですね。
天下国家のため、孤高に生きた楚材。
彼はやがて、次のような心境に至ります。
「『こんな世の中になった』素材はぽつりと言った。漢人も、契丹も女真もイスラムもない。あるのは人間らしさに、どれほど近いか、ということであった。」(本文より抜粋)
「人間らしさにどれほど近いか。」
結局は、そこだよな。
と、なんだかとても納得したのでした。