異文化コミュニケーション

先月から、教員をしている

教員になろうという情熱など微塵もなかったのに、不思議な出会いに導かれ、今は毎日、現場にどっぷり漬かって、朝から晩まで、走り回っている

これまで学んできた文化は、先生方の教育に対する嵐のような情熱と意味不明なまでのプライドの高さと破壊力抜群の純粋さを前に、早くも瓦解

誰もが時間に追われて忙しくしている上、あくまで男女平等

お茶汲みは、そのものがない

たまに、講演会などで来られた客に対しては、冷蔵庫で冷やしておいたペットボトルをそのまま出す

電話は、その辺の人が取る

他校の先生からかかってきた電話に「お世話になっております」はなく、先生が電話を取って、「こちらこそお世話になっております」と答えている姿は、見たことがない

女性のおしゃれに関しては、すっぴんの先生が多く、服装もシンプルで、カラーは基本黒

髪型も、何もしていない方がほとんど

でも、皆、美人

育児と仕事の両立に奮闘しておられる方も多く、ピリッとした雰囲気を漂わせている

思ったことははっきりと口に出し、おそらく、天然の人はいない

そういうところは、美しくも逞しいモンゴル人女性を思わされる

一方、男性は、おそらく天然の人、多目

朝から晩まで、クラブ活動に明け暮れている方もおられ、奥様のご苦労が偲ばれる(←失礼)

彼らは情熱大陸で生きていて、たまに、同じ土俵に乗り切れず、相槌が「はぁ」で終始してしまうことがある

教員の労働時間が問題視されているが、今の学校で働いてみて感じているのは、誰もそのことを気にしていないということ

先生方にとって、仕事はもはや趣味らしい

 

校長先生は女性の方で、個性豊かな教員の面々がご自慢のようだ

モンゴル帰りで神学校上がりの私のことも、過分に面白がってくれ、「もっと自分を出して行き」と発破をかけられる

これまで社会経験を築いてきた、どの世界とも異なる一方で、私が十代の多感な時期を過ごしたあの頃とまるで変わらない景色が広がっている

 

 

悩んでいる子も、悩んでいなさそうな子も、ふとした瞬間に、私のファインダーに飛び込んできて、私の心の琴線に触れる

私には今年12歳になる姪がいるのだが、あの子が来年、中学生になると思うと、目の前にいる中学生たちの幼い日の姿が見えるような気がしてくる

まだ少し言葉足らずな表現や、そこから飛び出してくるみずみずしい感性

幼稚さはもうないけれど、決して大人とは呼べない、「中学生」という独特の存在

憎たらしいことを言っていても、彼らの未来を信じる純粋さに、胸を打たれる

私に何ができるのだろうか、と日々、葛藤している

大変で、疲れて寝落ちすることも、落ち込むことあるけれど、楽しんでいる