ナオコの旅

持っているものでやり遂げる 喜んでしようと思ったとおりに

井上恭介著 「ヒロシマ 壁に残された伝言」

昨日、「ヒロシマ 壁に残された伝言」(集英社新書)を読みました。

こちらは内容をギュッと凝縮されたものが、中学国語の教科書に出典されています。

簡単に説明しますと、解体工事予定の校舎の壁の中から、原爆投下直後に書かれたと思われる様々な伝言が現れ、それが次年度用の原爆関係のネタを探し求めていたNHKプロデューサーの目に留まり、ドキュメンタリー取材されることになったものです。

原爆被害に関する生々しい表現は一切ありませんが、淡々と描かれるご遺族の方々の言動に、幾度となく心が揺すぶられました。

 

ヒロシマ ―壁に残された伝言 (集英社新書)

ヒロシマ ―壁に残された伝言 (集英社新書)

 

伝言が残されていた袋町小学校では、疎開するには幼すぎた小学校一、二年生、そして先生方が犠牲になりました。

その後、学校へやってきた人たちが目にしたものは、校庭に一人一人丁寧に並べられた子ども達の遺体と、その隣に折り重なるように倒れていた、力尽きた先生方の遺体だったのだそうです。

当時珍しかったコンクリートの建物は、救護施設として使用されることになりました。

やがて家族や知り合いを捜しに来た人たちが、灰で煤けた壁に伝言を書き残していきました。

一年後、学校が再開するにあたって、校舎の壁はすべて塗り直されたのですが、急いでいたのか、一部の壁がきちんと洗われないまま上塗りされたことによって、当時の伝言が奇跡的に漆喰の下に残ることとなったのです。

著者は、当時撮られた伝言の写真を元に、被害者名簿などから関係者を見つけ出し、インタビューを行なっていきました。

遺族の方々は伝言の前に立つと、研究者が最新機器を使ってどうにか割り出した、薄れて消えかかった文字を、肉眼ですらすらと読んでいったそうです。

そして、

「ああ、そうだったのか」

と呟かれた、そうです。

いなくなれば必死に探すし、どれほど絶望的な状況下にあっても心の底から生きていて欲しいと願うし、叶わぬ願いだと知りながらも、何年経っても、何十年経っても一目会いたいと思う、その心を家族の絆と呼ぶのだと思いました。

 

 

昔、妹と広島へ行った事があります。

なぜ、妹と一緒だったかというと、本当は、この旅は私の人生初の一人旅となるはずでした。当時、私は十代後半か二十歳位で、一人旅に憧れていました。

絶対に反対されると分かっていたので、家族には黙っていたのですが、出発直前テンションが上がってついボロが出てしまい、母に気付かれてしまいました。

母は「絶対にありえない!」と言い出し、どうしても行くのなら、と、妹にお供についていくように命じました。

私は、それでは意味がないと、何度も断ったのですが、今度は妹が、

「お姉ちゃん、友達いないの?可哀想」

と言い出し、懇願虚しく、妹と二人連れで行くことになったのでした。

妹は、私とは正反対で、なんでも計画を立てて、その通りに実行したいタイプなので、旅の間、私に振り回されることとなり、ずっと「ありえない」を連発していました。

宮島でのんびり夕焼けを眺めながら、

「いやいや、旅ってこういうものだから。ほら、お陰でこんなキレイな景色が見れてるでしょ」

と私が言うと、

「そうか、旅ってそういうものなのか」

と納得していました。

彼女は一見、頑固なのですが、こちらが驚いてしまうほど、根が純粋で素直なんですね。

やっぱり広島に来たからには、ということで、広島平和記念資料館に行くことになりましたが、そんな二人なので、館内では別行動をとることにしました。

妹が一通り見て戻ってくると、人目もはばからずに号泣している人がいたそうで、一体どんな人なんだ、と見ると、自分の姉だったそうです。

「恥ずかしくて、声かけられへんかった」

と言ってました。

言ってましたが、確かあの時、だいぶ経ってから、妹に声をかけられた気がします。

振り返ると、何とも言えない表情をした妹が立っていました。あの顔は忘れられない笑

我ながら、妹の苦労が偲ばれるエピソードですね。

 

袋町小学校の伝言を見てみたくなったので、今度、また広島に行って来ようかな。

では今日はこの辺で。