天空の城ラピュタ
皆さま、ご無沙汰しております
暑い夏が一段落し、いよいよ2学期が始まります!
さて、昨日のラピュタのノーカット版はご覧になりましたか?
久々に観たその衝撃を、こちらに書き残しておくことにしました
金曜ロードSHOW!「天空の城ラピュタ」★原作・脚本・監督:宮崎駿 2019年8月30日
まず、何が衝撃だったかというと、
ラピュタってこんなに悲しいお話でしたっけ…?
パズーもシータも、まだまだ子どもなのに、お父さんもお母さんもいないなんて…
物語序盤、屋根の上で、鳩に餌をやりながら、
「僕たち、親なしだね」
と、笑うパズーに、まず泣かされました
子どもの頃は、二人について、特に意識したことはありませんでしたのが、大人になって改めて見ると、二人の子供が懸命に生きようとする姿がけなげで切なく、二人が必死に呼び合う姿に、もう涙涙…
子どもの頃、そこはかとない物悲しさを感じてはいましたが、今回、物語の底辺に戦争のイメージが流れていることに気付かされました
ロポット兵によって、辺りが一瞬にして火の海になるシーンは大空襲を、ラピュタが兵器へと変えられ、海に放った砲撃が赤く膨れ上がって爆発するシーンは核実験を、連想させられました
私にはパズーとシータが、戦争孤児と重なって見えたのでした
宮崎監督や高畑監督が青春を過ごした時代は、今よりも戦争が身近だったんだと気付きました
製作当時は、冷戦真っ只中でもあり、核の恐怖は、今よりもずっとリアルでした
令和を迎えて、黒柳徹子さんがテレビでこう言ってました
「平成は戦争がありませんでしたもんね」
明治も大正も昭和も、その前の江戸も、ずっとずっと戦争がありました
平成は戦争がなかった
それは、決して当たり前のことではなかった、ということを、黒柳さんの言葉から教えられました
さて、子どもの頃から「ラピュタは恋愛物とは違うなぁ」と思っていたけれど、これは家族を失った子供たちが、同じ境遇の者と出会い、もう二度と失いたくないと懸命に努力する物語、だったのだな、と思いました
互いに見せる子供らしい無邪気な表情が、何ともいじらしくてたまりませんでした
というわけで今回、一番衝撃だったことは、いつの間にやら、自分の目線がすっかりドーラ目線になっていたこと(笑)
いやー、名作は、まるで鏡のように、自分を客観的に見せてくれますね