読書録 2020412
近頃、アクティブ・ラーニングなるものに興味が出てきた。うまくいけば、教師は課題を出すだけで、あとは何もしなくていいらしい(と、これだけ書くと、様々な語弊があるだろうが)
楽しみながら、クラスの人間関係もうまくいって、子どもたちの成績も上がるとくれば、研究せずにはいられない。
一冊目を読破したところで、ベテランの先生の所へ行って、「これ、面白かったです。こういう本で他におすすめはありませんか?」と聞きに行き、お借りしたのがこの本。
一番感動したのは、著者が、震災当時、福島県で働いておられたその経験にさらりと触れておられるくだり。
あの経験があったからこそ、著者はこれほどアクティブラーニングに対して強い思いを抱いておられるのか、と、納得した。
アクティブラーニングとは、簡単に言ってしまえば、教師に頼らず、子どもたちたちの力だけで積極的に考え、学んでいくということ。
この先生は、子どもたちに、他人の判断を待つことなく、自分たちで学び行動することの大切さを語って来られたのだと思う。
被災地ボランティアへ行ったとき、行政機能が麻痺している中、住民の皆さんが力を合わせて組織を作り、自分たちにできることを考え、行動しておられるのを目の当たりにした。現地のリーダーの方が「これだけのことを経験したのだから、明日の日本を背負うリーダーが、絶対にこの地から生まれてきますよ。」と力強く語っておられたことを思い出した。光は闇の中で輝く。あの希望に満ちた言葉は、本当に美しく、私の心に響いた。
本書を読んで、被災地のお一人お一人が、自分たちのできる範囲で精一杯日々の暮らしを守ってこられ、それだけではなく、さらに一歩ずつ高め、見えない壁を突破して来られた、その確かな足跡の触れた気がした。
書かれていはいないけれど、被災地の方々が今日まで歩んでこられた、その思いの深さ、豊かさを思わされた一冊だった。
名著。心底、日本を愛しておられるのを感じた。どのような方なのだろう、と興味が沸き、ネットで検索したところ、2010年にお亡くなりになったとあった。
一度、お会いしてみたかった。
先日、人生最大の天然ぶりを発揮した。
このような状況で、毎日、どんどん予定が変更になっていく。
そんな中、いつものようにジャージ姿で職場へ向かい、自分のデスクに座った。ふと正面を見ると、いつもジャージ姿のその方がスーツなのに気が付いた。視界に入ってきたその奥の方も、珍しくスーツだ。
最初は知らないふりをしていたのだが、やはり気になる。
「今日、なんでスーツなんです?」
その方は、少しムッとされて、
「作業もあるけど、着替えるのが面倒だから、もう朝からスーツでいいかなって思って」
よく分からない。この方は、今日は何があるんだろう?
「今日、何かあるんですか?」
「え?」
「え?」
「今日、入学式ですよ!」
「・・・・ええええ!!!!入学式って今日でしたっけ!!?」
「今日ですよ!」
「うわ!スーツがない!ジャージじゃダメですよね!?」
「ダメですよ!!」
ってなやりとりをしていたら、お隣の、行事予定などだいたいすべての段取りを組む、仕事のできる方が、私の席上の今日の段取り表を指さして、
「これ、何のために作ったと思ってるんですか!?」
「ですよね!うわあ、どうしよう!スーツがない!」
「ジャージ黒だし、そのジャージなら、式に出てもいいんじゃないですか?」
「え?いいですかね?」
「ダメですよ!!!」
とうとう、そこらへんの人も巻き込んで、私の天然がばれてしまったのだった。
入学式のスーツは、その後、あいた時間に、着替えに帰ることができた。
再び職場に戻った時、変な顔してこっちを見てるので、何だろうと思ってたら、
「背中のバックパック、ぱっかー開いてますよ!」
「うわ!ほんまや!」
それ以来、隣の先生が、やたらと私のやっていることを覗いてくるようになってしまった。そして、私が説明する前から、ダメ出しをしてくる。
天然にだって、プライベートはある。
「私は長期的にものを考えるタイプなんです。考えすぎて、ちょっとその日の予定とかは弱いというか、忘れることもあるというか。でも、別に考えてないわけじゃないんです。むしろ、考えすぎて忘れるんです」
と、自分の天然を弁護しようと熱弁をふるうと、その方が、
「入学式を、ですか」
「そうです。入学式を、です」
ドヤ顔で言い切ったが、よくよく考えてみれば・・・、恥の上塗り。
むしろ、天然だと笑ってもらえて感謝・・・。
年度が変わり、席替えなどがあって、人見知りの私はずっとドキドキしていたのだが、蓋を開けてみれば、周りは知り合いの方ばかりで、ホッとしていたのだと思う。
ひた隠しにしていた天然が、こんな形で表れてしまった。
気を引き締めていこう。
天然の挑戦は続く。