出国前夜
年末年始を日本で過ごし、先日、再び厳寒の地へと舞い戻ってきた、自他共に認める酔狂な私。
日本を出国する前夜、モンゴル仕様の財布へ中身を入れ替えていた際、日本滞在中に受け取った様々なレシートが出てきました。
レシートの内容自体は大したことないものばかりでしたが、その1枚1枚を見直しながら、改めて、楽しい滞在だったことを思わされました。
姪っ子たちも大きくなり、もう、以前のように「だっこして!」「滑り台して!」なんて言いません。
公式を使わないと解けないような、小難しい算数の宿題を、教えて欲しいと持ってきたりします。
昨年、生まれた甥っ子は大きくなり、呼ぶと、嬉しそうにハイハイしてきました。
スーツケースを開いて、次から次へと出てくる土産に、母親である妹が、驚きの声を上げました。
面白いものを見つけると、ついつい「姪っ子たちのお土産に」と買ってしまい、それが気付かないうちに、結構な量になっていたことに、はじめて気が付きました。
すぐに大きくなってしまうこの子たちの大切な時間を、少しでも長く一緒に過ごしたいと思いながら、いつも遠く離れ、旅立っていく自分の生き方に、胸が痛まないといえば嘘になります。
そんな時、いつも思わされるのは、聖書に出てくる、ハンナの祈りです。
彼女は乳離れしたばかりの我が子を、約束どおり、神にお仕えする者として、祭司の元に捧げました。そして、その後は、一年に一度だけ、小さな上着を作って、息子に会いに行きました。
聖書には何も書かれていませんが、どれほどの胸の痛みだっただろうかと思わされます。
つかの間の再会の喜びと、すぐにやってくる別離の悲しみとで、おそらくその邂逅は涙涙だったのではないでしょうか。
けれどもやがて、彼女の息子は成長し、一国を率いた偉大な祭司として、歴史にその名を残すのです。
同じ空間で時を過ごすことはできなくても、祈ることはできます。
転んで泣いた涙を、かけよってぬぐってやることはできなくても、強くなれ、負けるな、強くなれ、と祈ることはできます。
神様がどうか、お守りくださいますように。
私も、いつも、そう祈っています。
空港に着陸し、家族が待つゲートへと向かう喜びは、言葉にできないものでした。
天国ってこんな感じかな、と思わされました。
いつかその日が来たとき、こんな風に迎えられたなら。
最高の人生だな、と思わされました。
本当はもっと別のことを面白おかしく書こうと思っていたのですが、何度書き直しても、こればっかり書いてしまうので、今回はこちらでご勘弁を。
感謝を込めて。