読書録 20200504
皆さま、こんにちは!いかがお過ごしでしょうか。
ここしばらく、本ばかり読んでいたので、ここらへんで、一旦、整理しておきたいと思います。
図書室にあったので借りてみたのですが…。
よくもこれほど些細な出来事を、大事(おおごと)にできるものだと感心。
人間同士のいざこざに、ギリシャ神話の神々がお約束で登場するのですが、その度に、火に油を注いでしまい、あっという間に物事が大げさになり、結局、最後は悲劇で終わる。何やってんだ、ギリシャの神様…。
ここまでくれば、悲劇もむしろ喜劇。
大した問題でもなかったのに、なんでそうややこしくしちゃうんだろうなぁ~。でも、人の知恵とは、えてしてそういうもんなのかもしれん。
一読し、もう一回読まないとなと思ってます。
心に留まった言葉を。
「『専門家とは、ある領域において犯すべき過ちをすべて犯して、これ以上はもう過ちを犯せない人』のこと」P14
「『自分の質問を出さないかぎりは学べません。』」P248
「いま目の前にいる子どもたちは、卒業後、40~50年、社会で仕事をします。そのときに生き残る仕事は何なのでしょうか? 各種の調査では、いまある仕事の半数以上は遠からずなくなると予想しています。では、子どもたちが生活するためにどんな能力が必要なのでしょうか。
残念ながら我々教師はその視点でものを考えていませんでした。自分が学んだことを教えていれば、子どもの将来につながるとぼんやりと考えていたと思います。事実、我々はそれでいまを生きているのですから。しかし、目の前の子どもはそうはいかないのです。」P27
「現在進行しているアクティブ・ラーニングへの流れの源は経済産業界にあり、その根本は日本の生き残りにあることを理解していただけたと思います。
したがって、もはや『文学作品における深い読み』『天体の動きに関して視点移動の能力が必要』『論理的思考能力育成』といった言葉でこの教育改革に太刀打ちすることはできません。
我々教師がグラウンドに戻ってもう一度プレーするには、子どもたちが将来生きる社会を明確にイメージし、それに必要な能力は何かを教師以外の人に説得できるようにならねばならないのです。そして、そうしなければなりません。
なぜなら、我々こそが子どもの前に立って教育しているからです。
だから、我々が変わらなければ、子どもたちの未来はありません。(中略)
教科内容だけを教えるということから教師の役割を考えるのではなく、『子どもたちにとって一生涯にわたる幸せとは何か』という発想を出発点にした教育論と、その教育論に基づいた実践が必要なのです。」P29
・課題を与える時に一工夫を
わざと挑発的なことばを入れる→意欲的になった子をおおげさに誉める
どのくらい頑張れば良いのかの目安を示す
「5つ答えられたら天才だね」など
→明確な学習課題を示すためには、指導者自身が「今日、子どもたちに何を身につけさせるのか」ということをずばりと言えるように、教材研究しておくことが大切
・子供が考える時間を確保しょう
→個別の思考時間をあまり長くとると、個人差が大きくなりがち。内容が複雑で10分程度思考させる必要があるのならば、3分間思考させてから話し合うということを3回繰り返す
・子供の活動量を増やそう
授業では大いに話し合わせる。大いに自分の考えを書かせる。質は量を生まないが、量は質を生む。
・次への期待を持たせよう
次の授業が楽しみだということが増えれば、子どもたちの学校生活は充実する。
あえてまとめないで終わるという方法もある。→「オープンエンド」
・ペア対話を多く取り入れよう
クラス全体で話し合うと、30分では一人1分しか話ができないが、ペアで行えば、一人の持ち時間は15分に。
交互に反す
相手の話を最後まで聞く
頷くなど、反応しながら聞く
話を途切れさせない→話が止まってしまうペアには「もう一回はじめから繰り返しなさい」とアドバイスする
・全員参加しているか確認しよう
子供に黒板を写させる際には、全員を見渡して手元を見る
音読練習の時には、子供の口元を見る
資料を読み取る授業の時には、「資料を指さしなさい。」と言う
ノートに書かせて積極的に参加させる
・「間」の使い方を意識してみよう
・正解だけ書く板書はやめよう
子供の発言をそのまま書かない→要点のみを書く 時には子供の意図と違ってしまうことがあるので、必ず「君の話をまとめるとこうなるけど、いいかな」と確認する
・挙手指名だけに頼る授業はやめよう
・学習理解を板書で深めよう
①問題や学習課題
②子供たちの意見、話し合いの要点
③学習内容の要点、ポイント
④まとめ
・発表の仕方を教えよう
「教育とはそのままにしておかないこと」野口芳宏先生
稚拙な発表をそのままにしておかない、そんな教師の意識が子供の発言力をアップさせる
・多様な意見を束ねて板書しよう
・選択肢を与えて全員を参加させよう
・目で語れる教師になろう
・モニタリングができるようになろう
モニタリング能力を高めるためには、その日の授業を再現できるか日々振り返るとよい。
座席表をたくさん用意しておき、放課後に子供の名前のところに、その日の発言や行動を書き込む。なかなか書けないのは、その子のことをよく見ていないから。
・子供の考えをゆさぶろう
ゆさぶりに強くなるために、「なぜそのように考えるのか」という「根拠」をはっきりさせることが大切だと教える。
・事前計画に縛られず柔軟に「受け」よう
授業には「攻め」の部分と「受け」の部分がある。ベテランと若手で大きく差が出るのは、「受け」の部分。
幾通りものパターンを予想しておく習慣をつける。授業で子供がどんな反応をするのか、一人一人を思い浮かべてみる。その上で、実際の授業では事前に考えた展開通りに進めようと思わないことが大切。
計画通りに進まないと思えば、ゆとりが出る。こうしたことを繰り返すうちに、対応力が磨かれて、教師としての力量が一段高くなる。
・1時間に1回は笑わせよう
名人と言われる教師の授業には、張り詰めたなかにも上品な笑いがある。
・子供を静かにさせる方法
黙って時計を指さすと、何人かの子が気づき、静かになる。
「ナンバーコール」ゲーム。「3+2は?」と聞き、5回拍手させる。最後に「0+0は?」と聞く。
・ゲームを効果的に取り入れよう
もはや、ただのメモ…。
読んでみました。一応、記録しておきます。
その他(読書じゃないけど)
名作の誉れ高い『バナナフィッシュ』ついに、拝聴。
あまりに有名なラストは聞き知っていたので、ちょっと及び腰になったが、私に言わせれば、あれはハッピーエンド。
先日ネット番組CGNTVで、小説『神の小屋』の作者ウィリアム・ポール・ヤングが、登場人物たちに、いかに自分を投影させたかを語っていて、とても興味深かった。
驚いたことに、物語序盤で亡くなるミッシーも、主人公であるミッシーの父親も、どちらも、作者自身だった。
作者は自身が経験した過去のトラウマを、ミッシーの悲劇に重ね合わせていた。そして、そこから回復する主人公もまた、自分自身だった。
それがあったので、『バナナフィッシュ』は、『神の小屋』とよく似ていると感じた。
過去のトラウマとの葛藤、そしてそこからの回復。
『バナナフィッシュ』に登場する二人の主人公は、つまり二人で一人である。片方が過去のトラウマを表し、もう一人が癒しと回復を表現している。
もっと言うと、容姿・才能のすべてに恵まれた主人公は、現実には存在しえないパーフェクトさを望む幼児万能感の表れであり、彼らが迎えたラストは、そこからの脱却とも言える。
二人いた主人公は一人となって、物語は幕を閉じる。
過去のトラウマと幼児万能感を失って、人はただの大人になっていく。
それでいいんだ。
だから、あのお話はあれでハッピーエンド。
そりゃそうだよな、作者は一人なんだから。
なるほど、物語ってそういう風にできてるんだなー、なんて思いながら観た。