私が「深い海の底の貝になりたい」と思う理由
長い一週間が終わりました。
海外で暮らしていると、日本では感じたことのない≪圧≫を感じることがあります。
一つ一つの動作に力を要する、と言いますか、何をするにも、水中にいるような抵抗があって、それらを一々撥ね返していかねばなりません。
買い物一つにつけても、「値段を聞き間違えるんじゃないか」「お札を出し間違えるんじゃないか」「外人だからってぼったくられるんじゃないか」など、今のところ、様々な杞憂があるわけです。
ただ部屋を出るのも、億劫になることがあります。
一歩出てしまえば、母国語も価値観も異なる人たちとすれ違うわけで、まぁ、たいてい、「こんにちはー」「どこ行ってたのー」てな具合で、どうってこともなく終わっていくし、こんなこと元気なときは全く気にならないのですが、
たまーに、
あー、深い海の底の貝になりたいわー
と、思わされるわけです。
というわけで、皆さん、疲労にはご注意ください。
疲れたときは、早めに寝るのがいいそうですよ。
(アルハンガイにて)
モンゴル漂流記
先日、母から電話がありました。
「体調崩したらしいけど、大丈夫なん?」
あれ、ブログを読んでくれてるのかな? 尋ねると、
「読んでるよ。〝モンゴル漂流記〟やろ」
漂流はしていない、そもそも、モンゴルに海はない、と言ったら、
「漂流みたいなもんやろ」
と、事実の方を捻じ曲げてきました。おそるべし。
昔、まだ若かりし頃。
軽い気持ちで母のことを書いた投書が、全国紙に掲載されたことがありました。
当時骨折して入院中だった母は、友人からの電話でそのことを知ったらしく、病室をのぞきに行ったら、そこには憤怒の形相の母が。
「あ、アカン」
と思った瞬間、
「あんた、ちょっとこっち来(き)ぃ」
有無を言わさぬ母の声。
逃げることも叶わず、そのまま、他の患者さん達もいる前で、延々と大激怒をくらったことがありました。
今となっては笑い話ですが、あのトラウマ的出来事によって、私は大いに反省し、お陰で大切な何かを身に沁みて学ぶことができました。
ブログに「体調を崩した」と書けば、心配して電話をかけてきてくれる親のありがたさ。
母が〝漂流記〟というなら、これは漂流記なのです。
お母さん、美味しいものいっぱい食べて、元気に過ごしてください。
正月には帰ります。
(たまに行く最寄の郵便局。ちなみにこの局、いつ行ってもお釣りの小銭がない。)
ご近所さん
さて、今、私が暮らしている部屋は、右隣には中国人の親子、左隣には韓国人の大家族がお住まいです。
韓国には徴兵制度があるので、お隣の長男君は、近々帰国予定なのだそうです。
こないだ、入り口のドアの前で会ったので、
「どこへ行ってきたの?」
って聞こうとして、うっかり間違えて
「どこへ行くの?」
と聞いてしまったところ、その子はちょっと嬉しそうな顔をして、
「月末に韓国へ行くよ。軍に入隊するんだ。」
と言って、銃を構えて、標準を合わせる振りをして見せました。
男の子にとっては、徴兵というのは、ちょっとワクワクするものなんだなぁ、と思わされると同時に、その標準の先には、誰がいることになるのかなぁ、なんてことが、チラッと・・・。
そういえば、こないだ、徴兵から帰ってきた男の子(モンゴル人)が、軍隊でランニングしてる写真をFBにアップしてたなー。
皆、当たり前に行くので、慣れない私は、なんだかびっくりしてしまいます。
平和でありますように。
(私がよく行く近所のスーパー)
あれこれ思うこと
どう書いても、おしゃれにならんなー、と思いつつ、このブログを書いています。
私のセンスや、ずぼらな性格にも、大いに原因があると思いますが。
どうしても、漂うB級感が否めない。
映画館前の遊具
①メリーゴーランド
③コアラ、もしくはダンボ、もしくはその辺りのどれか
④あったような、なかったようなキャラクター
⑤気高き孔雀
ついでに上映中の映画
そう、ここはモンゴル。
ファッションも食文化もメイクも歴史も人も、半端なく濃い。
合理的とか、衛生的とか、洗練とか、その辺りは、あんまり重点がおかれないようです。
こちら。なんだろ、と思って調べたところ、スーフィーという、イスラム教のダンスでした。
サイトに「モンゴル時代にスーフィー教団は強大化した。」という記述があったので、そのあたりに由来があるのでしょうか?あるいは、有名な人なんでしょうか?
よく分かりませんでした。
先日、こちらの子ども達が「怖い話」を聞きたがるので、『リング』の話をしました。
子どもの顔が青くなっていくので、「やめようか」と言うと、それは嫌ならしく、いつの間にか、私の足元にぴったりくっついて聞いていました。
どうやら、中国やロシアでも、日本のホラーが一番怖い、という評価を得ているようです。
中国では、日本のホラー映画を観ていた亡くなったおばあさんがおられるとか・・・。
ちなみに、こちらの子ども達に、
「日本の一番は何だと思う?」
と聞いたら、女の子が、
「ヤクルト!」
と言ってました。
ではまた。
読書記録~『冬のモンゴル』 磯野富士子~
『冬のモンゴル』、読みました。
著者は、元々英語畑の学者でありながら、モンゴルへ渡る、民法学者の夫に同行。
戦争の影が忍び寄る中、モンゴル語を学びつつ、現地調査を行う。
内モンゴルの田舎で、数ヶ月暮らし、モンゴル人と交流を深める。
やがて、戦局が悪化、著者は北京に残り、夫だけが内モンゴルへと戻っていく。
感動しました。
「学問とは何か」「調査とは何か」「命をかける意味があるのか」と、自分に問いかけつつ、その疑問を振り切って、没頭していきます。
そして、一年足らずの間にモンゴル語を習得、風習などに関する様々な情報を得ていきます。
私にとって、この作品の魅力は三つ。
その1、著者の学問に対する美しい理想
「人間が人間である以上これは夢であるか も知れないけれど、研究の対象を検討するのと同じ客観的な冷静さをもって、自己の心と行動を批判することに努め、自我を捨てて真理につくことを真剣に願う 人たちが、共通の研究目的によって結ばれたなら、それはこの世で作り得る最も美しい人間関係の一つではないだろうか。もし世界中の学者がこうした心で結び つくことができたなら、そして人間が自分の主観にのみ頼らないで、全体の中にある自己というものを客観的に眺められるようになったら、今日ある大小の難問 題の多くは解決される時が来るような気がする。
本当の学問ができるようになりたいと常に願いながらも、すぐにガツガツと机にかじりつき、自 分だけの知的貪欲を満足させたがる私自身に、何度となく愛想をつかしながらも、自分の進もうとする行手にモスタールト師やキュリー夫妻を見る時に、私は真 の学問の持つ可能性を信じたいと思う。」
その2、夫がイケメン(多分)
著者の夫は、本著の中でほぼしゃべっていませんが、そこがいい。
ツァガンサルに王府を訪問した際、周囲のあからさまな目線に耐えかねて、著者が夫を残して先に帰ってしまうシーンがあります。
「夫は自分がこの戦争を生きのびないかもしれないことを思って、少しでも多くのことを私に見せておきたいのだ。それをよく分かっているくせに、いざとなるとどうしても周囲のことに圧倒されてしまう私は、学問を志すものとしてあまりにも不甲斐なさすぎる。何だかすっかり情けない気持になり、いろいろ話しかけて来るドゴルチャップにも生返事しながら、細い裏道を抜けて帰る。」(本文より抜粋)
著者目線の夫像に、ぐっと来るシーンです。
本著は、著者が夫を残し、一人で北京へ向かうシーンで終わっています。
ぜひ、映画化してほしいなー。
その3、モンゴル語の勉強の仕方が分かる
大変個人的な理由で恐縮ですが、「そっかー、このくらい、喰らいついていかないといけないんだなー」と思わされました。
夫にいつ召集がかかるか分からない、時間的にも金銭的にも余裕がない、そんな中で、それでも、学問という、己が信じた人類普遍の真理のために、全てを捧げて調査を進めていくという、極限状態を思えば、私の苦労なんて、月とすっぽんどころか、ミジンコだと思いました。
本著は、日記形式なのですが、著者のあまりの習得の早さに、恥ずかしながら、何度も日付を確認しました。
民俗学的見地から、著者は驚きと感動をもって知識を蓄えていくのですが、びっくりしたのは、著者が大切に拾いまくっている情報の中に、
「あれ、私もこれ、どっかで聞いた気がするなー」
「これ、誰か教えてくれてたけど、よく聞いてなかったなー」
という点が、結構あったということです。
緊張感ゼロとはこのことです。何で、いでつもどこでも、リラックスしてんだよ!私!
これからは、もっとしっかり生きていこうと思いました。
以下、ネタばれです。
ウィキで調べたら、終戦を内モンゴルで迎えた夫である磯野誠一氏は、その後、ウランバートルで捕虜として収容されたようです。
無事、日本に帰国された後、こちらの本が夫妻共著で出版されていました。
家族制度―淳風美俗を中心として (1958年) (岩波新書)
- 作者: 磯野誠一,磯野富士子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958
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調べていたら、当時の内モンゴルを描いた、こんな本も出版されていました。いつか読んでみたいな。
(アルハンガイにて。2016夏)
読書記録~『グレートジャーニー②ユーラシア~アフリカ篇』関野吉晴
グレートジャーニー―地球を這う〈2〉ユーラシア~アフリカ篇 (ちくま新書)
- 作者: 関野吉晴
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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写真がきれいだった。
それから、現地の人の日々の暮らしを、あわれむでなく、のめりこむでもなく、淡々と描写する、作者の立ち位置がとても好きだと思った。
豊かな国の人間からすれば、乏しく感じられる暮らしであっても、彼らにとってはそれが日常なのだ、ということを思い出させてくれる。
作者は、何もしない。ただ、通り過ぎてゆくだけ(しかも自転車で)。
そこにいろんな人たちの暮らしが、映りこんでいく。
何かが火花みたいに一瞬光って、そしてまた、消え去っていく。
刹那を生きる人間には、とうてい掴みきることのできない時間の片鱗を、かいまみさせてもらったような、そんな感じがした。