流し台のメラニンスポンジの上で、茶葉が命を得た話
台風一過の荒天の下、皆さまにご挨拶申し上げます
今日は思い切って、久々にブログを更新させて頂くことに致しました
皆さま、お元気でいらっしゃいましたでしょうか
長らくの無沙汰、この場を借りて、心よりお詫び申し上げます
さて、かなり長い間、無沙汰しておりましたので、私の近辺もさぞ変化があったことだろうと察しの方、ご安心ください、我が身辺、何も変わりございません σ( ̄^ ̄) エッヘン
あえて申し上げるなら、転勤したこと、朝日のきれいな見晴らしのよい高台に引っ越したこと、家の近くの教会に通い出したこと、くらいでしょうか
といっても、どれも数年前のことになります
仕事にはいまだ慣れず、日々奮闘しております
残業で帰りは連日10時過ぎ、週末もほぼ出勤の日々
先日、帰宅後、夜遅くに流しに立った際のこと
洗い物をしようと、100均で購入したプラスチックケースの中のスポンジを手に取ったところ、その下に入っていたメラニンスポンジの上に、大量の紅茶の茶葉が散らばっているのが目に入りました
紅茶好きの私の家の流し台に、茶葉がこぼれていることは、当然あり得ること
しかし、私には、最近、茶葉をこぼした記憶はありませんでした
「あれ?私、最近、紅茶、撒いたっけ?」
違和感、というヤツです
私は、疲れた頭で、スポンジをじっと凝視しました
すると‥‥なんと、その大量の茶葉は、動いていました
正確には、メラニンスポンジの上で、一本一本が、身をよじるように、うごめいていたのです…!
生きてる…!!
命を与えられとる‥‥!!!
これはあったらあかんやつや‥‥!!!!
私はパニックになりながらも、無数の黒いものたちを生ましめた、母なるメラニンスポンジをビニールで摘まんでそのまま裏返し、幾重にも口を縛って、ゴミ箱に捨てました
我ながら、冷静かつ敏速な行動でした
次に、100均のプラスチックケースを覗き込むと、案の定、母に置き去りにされた無数の迷子たちが大量に取り残されていました
私は一瞬、逡巡しました
このプラスチックを無為に捨てることは、SDGsに反する…!
だが、絶対に絶対に、洗いたくはない…!!
そこで、私は瞬時に、そのプラスチックケースをつまみ、部屋を走って縦断し、窓を開けると、夜のベランダへ放り出したのでした
「やつらとて、バカではあるまい。明日の朝までには、きっとどこかへ行ってくれてるはず…!」
そして、その夜は眠りについたのでした
翌朝、目が覚めると、真っ先に、ベランダのプラスチックケースを見に行きました
黒いものたちは、一見、いなくなってるように見えましたが、ケースをひっくり返してみると、裏側の隅っこの陰で、朝日から逃れようと、数十匹が球体になってうごめいていました
寝起きの動かない頭で、しばらくそれを眺めていましたが、ふと思ついて、風呂場からカビキラーを持ってきて、噴射してみました
すると、求めていた水分が与えられたことが嬉しかったのか、みるみる球体がほどけて、泡の中をのびのびと泳ぎ始めたのでした
予想外のカビキラーの敗北を見届け、私はその場を後にしたのでした
というわけで、今回、私が読んだ本はこちらでございます
「『キッチンクロス』なんてに言ってるけど、要はフキンでしょ」って思って、この本に登場するメーカーをググってみたら、なんと一枚5000円!!!
驚いて、ネットショップで売ってるキッチンクロスを調べたら、なんとなんと、キッチンクロスにしてもよし、お出かけの際にはハンカチにしてもよし、寒い日は首にまいてショールにしてもよし、という、驚きのハイスペックなキッチンクロスがいっぱい出てきたのでした!
煮沸消毒への信頼の高さよ!
なんてことを思いつつ、家事のハウツーについて、あれこれ学ぶことができた一冊でした(*^-^*)
そんなこんなで、今はうちの流し台は、ピカピカでございます
感謝
読書録 20200504
皆さま、こんにちは!いかがお過ごしでしょうか。
ここしばらく、本ばかり読んでいたので、ここらへんで、一旦、整理しておきたいと思います。
図書室にあったので借りてみたのですが…。
よくもこれほど些細な出来事を、大事(おおごと)にできるものだと感心。
人間同士のいざこざに、ギリシャ神話の神々がお約束で登場するのですが、その度に、火に油を注いでしまい、あっという間に物事が大げさになり、結局、最後は悲劇で終わる。何やってんだ、ギリシャの神様…。
ここまでくれば、悲劇もむしろ喜劇。
大した問題でもなかったのに、なんでそうややこしくしちゃうんだろうなぁ~。でも、人の知恵とは、えてしてそういうもんなのかもしれん。
一読し、もう一回読まないとなと思ってます。
心に留まった言葉を。
「『専門家とは、ある領域において犯すべき過ちをすべて犯して、これ以上はもう過ちを犯せない人』のこと」P14
「『自分の質問を出さないかぎりは学べません。』」P248
「いま目の前にいる子どもたちは、卒業後、40~50年、社会で仕事をします。そのときに生き残る仕事は何なのでしょうか? 各種の調査では、いまある仕事の半数以上は遠からずなくなると予想しています。では、子どもたちが生活するためにどんな能力が必要なのでしょうか。
残念ながら我々教師はその視点でものを考えていませんでした。自分が学んだことを教えていれば、子どもの将来につながるとぼんやりと考えていたと思います。事実、我々はそれでいまを生きているのですから。しかし、目の前の子どもはそうはいかないのです。」P27
「現在進行しているアクティブ・ラーニングへの流れの源は経済産業界にあり、その根本は日本の生き残りにあることを理解していただけたと思います。
したがって、もはや『文学作品における深い読み』『天体の動きに関して視点移動の能力が必要』『論理的思考能力育成』といった言葉でこの教育改革に太刀打ちすることはできません。
我々教師がグラウンドに戻ってもう一度プレーするには、子どもたちが将来生きる社会を明確にイメージし、それに必要な能力は何かを教師以外の人に説得できるようにならねばならないのです。そして、そうしなければなりません。
なぜなら、我々こそが子どもの前に立って教育しているからです。
だから、我々が変わらなければ、子どもたちの未来はありません。(中略)
教科内容だけを教えるということから教師の役割を考えるのではなく、『子どもたちにとって一生涯にわたる幸せとは何か』という発想を出発点にした教育論と、その教育論に基づいた実践が必要なのです。」P29
・課題を与える時に一工夫を
わざと挑発的なことばを入れる→意欲的になった子をおおげさに誉める
どのくらい頑張れば良いのかの目安を示す
「5つ答えられたら天才だね」など
→明確な学習課題を示すためには、指導者自身が「今日、子どもたちに何を身につけさせるのか」ということをずばりと言えるように、教材研究しておくことが大切
・子供が考える時間を確保しょう
→個別の思考時間をあまり長くとると、個人差が大きくなりがち。内容が複雑で10分程度思考させる必要があるのならば、3分間思考させてから話し合うということを3回繰り返す
・子供の活動量を増やそう
授業では大いに話し合わせる。大いに自分の考えを書かせる。質は量を生まないが、量は質を生む。
・次への期待を持たせよう
次の授業が楽しみだということが増えれば、子どもたちの学校生活は充実する。
あえてまとめないで終わるという方法もある。→「オープンエンド」
・ペア対話を多く取り入れよう
クラス全体で話し合うと、30分では一人1分しか話ができないが、ペアで行えば、一人の持ち時間は15分に。
交互に反す
相手の話を最後まで聞く
頷くなど、反応しながら聞く
話を途切れさせない→話が止まってしまうペアには「もう一回はじめから繰り返しなさい」とアドバイスする
・全員参加しているか確認しよう
子供に黒板を写させる際には、全員を見渡して手元を見る
音読練習の時には、子供の口元を見る
資料を読み取る授業の時には、「資料を指さしなさい。」と言う
ノートに書かせて積極的に参加させる
・「間」の使い方を意識してみよう
・正解だけ書く板書はやめよう
子供の発言をそのまま書かない→要点のみを書く 時には子供の意図と違ってしまうことがあるので、必ず「君の話をまとめるとこうなるけど、いいかな」と確認する
・挙手指名だけに頼る授業はやめよう
・学習理解を板書で深めよう
①問題や学習課題
②子供たちの意見、話し合いの要点
③学習内容の要点、ポイント
④まとめ
・発表の仕方を教えよう
「教育とはそのままにしておかないこと」野口芳宏先生
稚拙な発表をそのままにしておかない、そんな教師の意識が子供の発言力をアップさせる
・多様な意見を束ねて板書しよう
・選択肢を与えて全員を参加させよう
・目で語れる教師になろう
・モニタリングができるようになろう
モニタリング能力を高めるためには、その日の授業を再現できるか日々振り返るとよい。
座席表をたくさん用意しておき、放課後に子供の名前のところに、その日の発言や行動を書き込む。なかなか書けないのは、その子のことをよく見ていないから。
・子供の考えをゆさぶろう
ゆさぶりに強くなるために、「なぜそのように考えるのか」という「根拠」をはっきりさせることが大切だと教える。
・事前計画に縛られず柔軟に「受け」よう
授業には「攻め」の部分と「受け」の部分がある。ベテランと若手で大きく差が出るのは、「受け」の部分。
幾通りものパターンを予想しておく習慣をつける。授業で子供がどんな反応をするのか、一人一人を思い浮かべてみる。その上で、実際の授業では事前に考えた展開通りに進めようと思わないことが大切。
計画通りに進まないと思えば、ゆとりが出る。こうしたことを繰り返すうちに、対応力が磨かれて、教師としての力量が一段高くなる。
・1時間に1回は笑わせよう
名人と言われる教師の授業には、張り詰めたなかにも上品な笑いがある。
・子供を静かにさせる方法
黙って時計を指さすと、何人かの子が気づき、静かになる。
「ナンバーコール」ゲーム。「3+2は?」と聞き、5回拍手させる。最後に「0+0は?」と聞く。
・ゲームを効果的に取り入れよう
もはや、ただのメモ…。
読んでみました。一応、記録しておきます。
その他(読書じゃないけど)
名作の誉れ高い『バナナフィッシュ』ついに、拝聴。
あまりに有名なラストは聞き知っていたので、ちょっと及び腰になったが、私に言わせれば、あれはハッピーエンド。
先日ネット番組CGNTVで、小説『神の小屋』の作者ウィリアム・ポール・ヤングが、登場人物たちに、いかに自分を投影させたかを語っていて、とても興味深かった。
驚いたことに、物語序盤で亡くなるミッシーも、主人公であるミッシーの父親も、どちらも、作者自身だった。
作者は自身が経験した過去のトラウマを、ミッシーの悲劇に重ね合わせていた。そして、そこから回復する主人公もまた、自分自身だった。
それがあったので、『バナナフィッシュ』は、『神の小屋』とよく似ていると感じた。
過去のトラウマとの葛藤、そしてそこからの回復。
『バナナフィッシュ』に登場する二人の主人公は、つまり二人で一人である。片方が過去のトラウマを表し、もう一人が癒しと回復を表現している。
もっと言うと、容姿・才能のすべてに恵まれた主人公は、現実には存在しえないパーフェクトさを望む幼児万能感の表れであり、彼らが迎えたラストは、そこからの脱却とも言える。
二人いた主人公は一人となって、物語は幕を閉じる。
過去のトラウマと幼児万能感を失って、人はただの大人になっていく。
それでいいんだ。
だから、あのお話はあれでハッピーエンド。
そりゃそうだよな、作者は一人なんだから。
なるほど、物語ってそういう風にできてるんだなー、なんて思いながら観た。
読書録 2020412
近頃、アクティブ・ラーニングなるものに興味が出てきた。うまくいけば、教師は課題を出すだけで、あとは何もしなくていいらしい(と、これだけ書くと、様々な語弊があるだろうが)
楽しみながら、クラスの人間関係もうまくいって、子どもたちの成績も上がるとくれば、研究せずにはいられない。
一冊目を読破したところで、ベテランの先生の所へ行って、「これ、面白かったです。こういう本で他におすすめはありませんか?」と聞きに行き、お借りしたのがこの本。
一番感動したのは、著者が、震災当時、福島県で働いておられたその経験にさらりと触れておられるくだり。
あの経験があったからこそ、著者はこれほどアクティブラーニングに対して強い思いを抱いておられるのか、と、納得した。
アクティブラーニングとは、簡単に言ってしまえば、教師に頼らず、子どもたちたちの力だけで積極的に考え、学んでいくということ。
この先生は、子どもたちに、他人の判断を待つことなく、自分たちで学び行動することの大切さを語って来られたのだと思う。
被災地ボランティアへ行ったとき、行政機能が麻痺している中、住民の皆さんが力を合わせて組織を作り、自分たちにできることを考え、行動しておられるのを目の当たりにした。現地のリーダーの方が「これだけのことを経験したのだから、明日の日本を背負うリーダーが、絶対にこの地から生まれてきますよ。」と力強く語っておられたことを思い出した。光は闇の中で輝く。あの希望に満ちた言葉は、本当に美しく、私の心に響いた。
本書を読んで、被災地のお一人お一人が、自分たちのできる範囲で精一杯日々の暮らしを守ってこられ、それだけではなく、さらに一歩ずつ高め、見えない壁を突破して来られた、その確かな足跡の触れた気がした。
書かれていはいないけれど、被災地の方々が今日まで歩んでこられた、その思いの深さ、豊かさを思わされた一冊だった。
名著。心底、日本を愛しておられるのを感じた。どのような方なのだろう、と興味が沸き、ネットで検索したところ、2010年にお亡くなりになったとあった。
一度、お会いしてみたかった。
先日、人生最大の天然ぶりを発揮した。
このような状況で、毎日、どんどん予定が変更になっていく。
そんな中、いつものようにジャージ姿で職場へ向かい、自分のデスクに座った。ふと正面を見ると、いつもジャージ姿のその方がスーツなのに気が付いた。視界に入ってきたその奥の方も、珍しくスーツだ。
最初は知らないふりをしていたのだが、やはり気になる。
「今日、なんでスーツなんです?」
その方は、少しムッとされて、
「作業もあるけど、着替えるのが面倒だから、もう朝からスーツでいいかなって思って」
よく分からない。この方は、今日は何があるんだろう?
「今日、何かあるんですか?」
「え?」
「え?」
「今日、入学式ですよ!」
「・・・・ええええ!!!!入学式って今日でしたっけ!!?」
「今日ですよ!」
「うわ!スーツがない!ジャージじゃダメですよね!?」
「ダメですよ!!」
ってなやりとりをしていたら、お隣の、行事予定などだいたいすべての段取りを組む、仕事のできる方が、私の席上の今日の段取り表を指さして、
「これ、何のために作ったと思ってるんですか!?」
「ですよね!うわあ、どうしよう!スーツがない!」
「ジャージ黒だし、そのジャージなら、式に出てもいいんじゃないですか?」
「え?いいですかね?」
「ダメですよ!!!」
とうとう、そこらへんの人も巻き込んで、私の天然がばれてしまったのだった。
入学式のスーツは、その後、あいた時間に、着替えに帰ることができた。
再び職場に戻った時、変な顔してこっちを見てるので、何だろうと思ってたら、
「背中のバックパック、ぱっかー開いてますよ!」
「うわ!ほんまや!」
それ以来、隣の先生が、やたらと私のやっていることを覗いてくるようになってしまった。そして、私が説明する前から、ダメ出しをしてくる。
天然にだって、プライベートはある。
「私は長期的にものを考えるタイプなんです。考えすぎて、ちょっとその日の予定とかは弱いというか、忘れることもあるというか。でも、別に考えてないわけじゃないんです。むしろ、考えすぎて忘れるんです」
と、自分の天然を弁護しようと熱弁をふるうと、その方が、
「入学式を、ですか」
「そうです。入学式を、です」
ドヤ顔で言い切ったが、よくよく考えてみれば・・・、恥の上塗り。
むしろ、天然だと笑ってもらえて感謝・・・。
年度が変わり、席替えなどがあって、人見知りの私はずっとドキドキしていたのだが、蓋を開けてみれば、周りは知り合いの方ばかりで、ホッとしていたのだと思う。
ひた隠しにしていた天然が、こんな形で表れてしまった。
気を引き締めていこう。
天然の挑戦は続く。
読書録
「 だいぶ前の話です。日本人の青年ビジネスマンが東欧のある国に出張した時のこと。ちょうどクリスマスシーズンで、小雪舞う街は急ぎ足で歩く人々で溢れ返っていました。青年も取引先と会食するレストランに向かっていたのですが、ふと十二~十三歳のリンゴ売りの少女の姿が目に飛び込んできました。『今どき、マッチ売りの少女はないだろう』と思いながら、少女のそばを通り過ぎようとした時です。後ろから駆け足でやってきた男が少女にぶつかった拍子にカゴの中のリンゴがこぼれ落ち、道路上に散乱してしまいました。
振り返ってみると少女はとても悲しそうな表情で立ち上がり、落ちたリンゴを拾い集めようとしていましたが、次から次へと人が通るので簡単ではありません。青年も先を急いでいたので、歩き始めました。『別に自分が悪いことをしたわけではない。しかも、外国のことだ』と思い、何もなかったように立ち去ろうとします。
その時、青年の心に何かが弾けたのです。青年は急ぎ足で少女に近づき、自分も一緒にリンゴを拾い集めながら、『そのリンゴを全部売ってくれる?』と、話しかけました。
少女は不思議そうに青年を見つめ、そして問います。
『あなたは、もしかしたら神様ですか?』」
(樋野興夫「種を蒔く人になりなさい」より一部抜粋)
名著。何度読んでも、新たな感動があります。
読んでいたら、KBIやO田先生など、知っている名前がどんどん出てきてびっくりしました。
年末年始の休暇は、教育関連の本を読みまくっていました。
振り返ってみれば、「教わる」「教える」ということについて、考えさせてもらった一年でした。果ては考えあぐねて、育児書まで読み漁っていました(笑)
- 作者:権藤 博
- 発売日: 2010/11/17
- メディア: 新書
- 作者:大矢純
- 発売日: 2013/02/27
- メディア: 新書
・何よりも大切なことは、子どもたちから信頼されること。
・保護者会の話が分かりやすい教員は、(子どもへの)授業もわかりやすい。
・大事なのは、常に子ども。
・皆がわくわくして次の一言を待っている授業。
・子供のロイヤルティを高めることが先決。
(「生徒のやる気を100%引き出す授業」より)
こちらに挙げた二冊の本はいずれも名著ですが、何よりすごいと思ったのは、ある先生のアドバイスとそっくり同じ事が書かれていたこと。
その先生は私が副顧問を務めることになったクラブの顧問の先生なのですが、指導らしい指導をされない。ただ、のんびりと子供たちのそばにいて、思っていることをそのまま口に出してしゃべっている。
「すごいな。あれで、あいつは置きにいってるだけなんやろうな。」
「どうやったら、あんな球打てるんやろうな。」
私は、放課後は毎日のように、部活動の指導といいつつ、そんな先生と子供たちのふれあう様子を眺めていました。
ある時、クラブの子が一人、放課後、忘れた体操服を取りに帰ったのですが、面倒くさくなったのか、結局戻ってきませんでした。待っていた私は何だか腹立たしく、先生に「きつく叱ってやって下さい」と言いました。すると、先生は「なんで?」と不思議そうに尋ねられ、「それがあいつなんや。最近、調子悪かったからな。休みたかったんやろう。それでええねん。明日は来るやろう」とのこと。
目からウロコでした。
先生が教えないのには、理由がありました。
子どもたちが自分から聞きに来るのです。すると、先生は逆に問いを投げかけます。
そうすると、子どもたちは自分から答えを導き出してきます。その答えが先生の気に入らないときは、さらに問い続ける時もあるし、誘導していくこともありました。
先生はユーモアを大切にされていて、日々子どもたちに振り回され、それどころではない私に、それではダメだ、『踊る!さんま御殿』を観なさい、と勧めてくるのでした。
あるクラスでのこと。
白紙を配って、私が読み上げる漢字を子供たちが書き取るという漢字の小テストをしていたのですが、白紙を配った後、あわてていた私は、「はい、はじめ!」と声をかけてしまいました。
クラス中の子がぽかんと私を見ています。しばらくしてから、ようやく私が問題を読み上げないとテストが始まらないことに気が付いたのでした。大失態です。
授業後、そのことを先生に話すと、先生は「それを笑いに変えないと」。
「じゃあ、先生ならどうされます?」と尋ねると、
「俺なら、『今のが、第一問や。ちゃんと〈はい、はじめ〉って書いたか?』って聞く」。
さすがの答えに、もう大笑い。
とにかくすごい先生なのでした。
- 作者:リチャード ボルスタッド
- 発売日: 2009/08/01
- メディア: 単行本
- 作者:川井道子
- 発売日: 2008/11/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
コーチングってどうやるんだろう、チームってどうやって作るんだろう、女の子って、思春期の子って…という、当時私が抱いていた疑問そのままのタイトルですね(笑)
簡単にまとめると、コーチングは愛情。
愛があれば見てるし、見ていれば掛けるべき言葉もわかる、というのがコーチング(私的解釈)。
NLPは、その方法。『NLP子育てコーチング』には、子どもへの話しかけ方、答え方、受け取り方などが、例を挙げて書かれていますが、要するに、どうすれば立ち位置の違いを越えて、愛情を愛情として伝えることができるかということなんだろうと、私は理解しました。
『女の子って、どう育てるの?』は、男の子と女の子は、コミュニケーションの方法も目的も、全く異なるということに気づき、何か参考になればと思って手に取りました。この本のお陰で気が付いたことは、女の子は、とにかくコミュニケーションが大事だということ。「この会話、何か意味あるのか」とか「なんで、こんなこといちいち聞いてくるんだろう」とかそんな疑問を抱きがちでしたが、違うんですね、大事なのは話の中身ではなく、今、私たちがコミュニケーションを取っているという事実そのものだったんだと、ようやく気が付きました。
いつも子どもたちは、私が考えべき問題と答えを持って、私の前にやってきます。子どもたちのお陰で、本当に多くのことに気付かせてもらいました。
彼らは、読書の意味さえ、変えてくれました。
なんだか、書き足りない気がしないでもないですが、とりあえず、今日はこの辺で。
井上恭介著 「ヒロシマ 壁に残された伝言」
昨日、「ヒロシマ 壁に残された伝言」(集英社新書)を読みました。
こちらは内容をギュッと凝縮されたものが、中学国語の教科書に出典されています。
簡単に説明しますと、解体工事予定の校舎の壁の中から、原爆投下直後に書かれたと思われる様々な伝言が現れ、それが次年度用の原爆関係のネタを探し求めていたNHKプロデューサーの目に留まり、ドキュメンタリー取材されることになったものです。
原爆被害に関する生々しい表現は一切ありませんが、淡々と描かれるご遺族の方々の言動に、幾度となく心が揺すぶられました。
伝言が残されていた袋町小学校では、疎開するには幼すぎた小学校一、二年生、そして先生方が犠牲になりました。
その後、学校へやってきた人たちが目にしたものは、校庭に一人一人丁寧に並べられた子ども達の遺体と、その隣に折り重なるように倒れていた、力尽きた先生方の遺体だったのだそうです。
当時珍しかったコンクリートの建物は、救護施設として使用されることになりました。
やがて家族や知り合いを捜しに来た人たちが、灰で煤けた壁に伝言を書き残していきました。
一年後、学校が再開するにあたって、校舎の壁はすべて塗り直されたのですが、急いでいたのか、一部の壁がきちんと洗われないまま上塗りされたことによって、当時の伝言が奇跡的に漆喰の下に残ることとなったのです。
著者は、当時撮られた伝言の写真を元に、被害者名簿などから関係者を見つけ出し、インタビューを行なっていきました。
遺族の方々は伝言の前に立つと、研究者が最新機器を使ってどうにか割り出した、薄れて消えかかった文字を、肉眼ですらすらと読んでいったそうです。
そして、
「ああ、そうだったのか」
と呟かれた、そうです。
いなくなれば必死に探すし、どれほど絶望的な状況下にあっても心の底から生きていて欲しいと願うし、叶わぬ願いだと知りながらも、何年経っても、何十年経っても一目会いたいと思う、その心を家族の絆と呼ぶのだと思いました。
昔、妹と広島へ行った事があります。
なぜ、妹と一緒だったかというと、本当は、この旅は私の人生初の一人旅となるはずでした。当時、私は十代後半か二十歳位で、一人旅に憧れていました。
絶対に反対されると分かっていたので、家族には黙っていたのですが、出発直前テンションが上がってついボロが出てしまい、母に気付かれてしまいました。
母は「絶対にありえない!」と言い出し、どうしても行くのなら、と、妹にお供についていくように命じました。
私は、それでは意味がないと、何度も断ったのですが、今度は妹が、
「お姉ちゃん、友達いないの?可哀想」
と言い出し、懇願虚しく、妹と二人連れで行くことになったのでした。
妹は、私とは正反対で、なんでも計画を立てて、その通りに実行したいタイプなので、旅の間、私に振り回されることとなり、ずっと「ありえない」を連発していました。
宮島でのんびり夕焼けを眺めながら、
「いやいや、旅ってこういうものだから。ほら、お陰でこんなキレイな景色が見れてるでしょ」
と私が言うと、
「そうか、旅ってそういうものなのか」
と納得していました。
彼女は一見、頑固なのですが、こちらが驚いてしまうほど、根が純粋で素直なんですね。
やっぱり広島に来たからには、ということで、広島平和記念資料館に行くことになりましたが、そんな二人なので、館内では別行動をとることにしました。
妹が一通り見て戻ってくると、人目もはばからずに号泣している人がいたそうで、一体どんな人なんだ、と見ると、自分の姉だったそうです。
「恥ずかしくて、声かけられへんかった」
と言ってました。
言ってましたが、確かあの時、だいぶ経ってから、妹に声をかけられた気がします。
振り返ると、何とも言えない表情をした妹が立っていました。あの顔は忘れられない笑
我ながら、妹の苦労が偲ばれるエピソードですね。
袋町小学校の伝言を見てみたくなったので、今度、また広島に行って来ようかな。
では今日はこの辺で。
天空の城ラピュタ
皆さま、ご無沙汰しております
暑い夏が一段落し、いよいよ2学期が始まります!
さて、昨日のラピュタのノーカット版はご覧になりましたか?
久々に観たその衝撃を、こちらに書き残しておくことにしました
金曜ロードSHOW!「天空の城ラピュタ」★原作・脚本・監督:宮崎駿 2019年8月30日
まず、何が衝撃だったかというと、
ラピュタってこんなに悲しいお話でしたっけ…?
パズーもシータも、まだまだ子どもなのに、お父さんもお母さんもいないなんて…
物語序盤、屋根の上で、鳩に餌をやりながら、
「僕たち、親なしだね」
と、笑うパズーに、まず泣かされました
子どもの頃は、二人について、特に意識したことはありませんでしたのが、大人になって改めて見ると、二人の子供が懸命に生きようとする姿がけなげで切なく、二人が必死に呼び合う姿に、もう涙涙…
子どもの頃、そこはかとない物悲しさを感じてはいましたが、今回、物語の底辺に戦争のイメージが流れていることに気付かされました
ロポット兵によって、辺りが一瞬にして火の海になるシーンは大空襲を、ラピュタが兵器へと変えられ、海に放った砲撃が赤く膨れ上がって爆発するシーンは核実験を、連想させられました
私にはパズーとシータが、戦争孤児と重なって見えたのでした
宮崎監督や高畑監督が青春を過ごした時代は、今よりも戦争が身近だったんだと気付きました
製作当時は、冷戦真っ只中でもあり、核の恐怖は、今よりもずっとリアルでした
令和を迎えて、黒柳徹子さんがテレビでこう言ってました
「平成は戦争がありませんでしたもんね」
明治も大正も昭和も、その前の江戸も、ずっとずっと戦争がありました
平成は戦争がなかった
それは、決して当たり前のことではなかった、ということを、黒柳さんの言葉から教えられました
さて、子どもの頃から「ラピュタは恋愛物とは違うなぁ」と思っていたけれど、これは家族を失った子供たちが、同じ境遇の者と出会い、もう二度と失いたくないと懸命に努力する物語、だったのだな、と思いました
互いに見せる子供らしい無邪気な表情が、何ともいじらしくてたまりませんでした
というわけで今回、一番衝撃だったことは、いつの間にやら、自分の目線がすっかりドーラ目線になっていたこと(笑)
いやー、名作は、まるで鏡のように、自分を客観的に見せてくれますね
読書録 2019.8
皆さま、ご無沙汰しております
お元気ですか?
私は日本ですっかり羽を伸ばしております
今日は、久々に映画の感想をアップしてみようと思います
こちらです
パリ・オリンピックの金メダリスト、エリック・リデルは、アスリートとしての栄光を捨て、自分が生まれ育った中国で、家族と共に宣教師として働いていましたが、やって来た日本軍によってリデルは捕虜収容所に入れられてしまい…というストーリー
日本兵役の皆さんの中国語なまりの日本語はさておき、役者さんたちの演技力が抜群!
まず、子役の子がすごい!本当にこれ、演技なの?と疑いたくなるほど
上手いとかを越えて、すごくリアルなんです
感情を爆発させて、大人の神経を逆なでし、八つ当たりをくらうシーンも、実にナチュラル
泣いて笑って、生きている子供がそこにはいました
そして、主役のジョセフ・ファインズ
物語後半、ある人物が重い病にかかるのですが、それからしばらくして、洗濯物の隙間から見え隠れするジョセフの目を見ただけで、ああ、彼は亡くなってしまったんだ、と分かるのです
ただそこに立っているだけなのに、直面させられている現実の重みが、観る者の心に衝撃となって伝わってきました
色んな意味で非常に重い内容を扱った映画です
ちなみに、主役のジョセフ・ファインズですが、今回、私はずーっと、「ラララ・ランド」「きみに読む物語」のライアン・ゴズリングだと思って観てました
今、これを書くにあたってサイトを拝見し、ようやく別人だと気づきました
ジョセフ・ファインズは、「恋に落ちたシェイクスピア」の主役だった方ですね
Shakespeare in Love - Tazenda-Andrea Parodi
こうして見ると、エリック・リデルを演じた人とは、全くの別人に見えます
多少の経年変化はあるにしても、ただただ、すごい…
以前、ライアン・ゴズリングが、ジョーカー(ジャレッド・レト)だと勘違いしながら、「スーサイド・スクワット」を観終えたことのある私(その時は、めっちゃ幅の広い役者さんだなぁと思いながら、観てました)
どうも、私にはこの手のタイプは判別が難しいようです…
ついでに、先日観た映画もアップしておきます
天使は基本的に、ただ観察して報告するだけ、ということで、主人公の天使は、人間に憧れています
彼が図書館に入ると、人の目には見えないのですが、そこらじゅう天使だらけなのが面白かったです
そして、彼が人間になりたがるその理由
「靴を脱いで、足の指を広げてみたい」とか…
なんか、新鮮でした
機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる
- 作者: ブライアンクリスチャン,Brian Christian,吉田晋治
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読み応えたっぷりの一冊
チャットで会話をしながら、どちらが人間かを当てるチューリングテストで、人間としてコンピュータに勝利すべく、テスト対象に立候補した著者
絶対に勝ちたい著者は、事前に対策を練ろうと頭を絞ります
ところが、調べれば調べるほど、人間らしい人間とは何かが分からなくなっていき…という内容
「僕がこの考え―混合芸術、地衣類、手を取り合うサルとロボット―に興味を惹かれるのは、人間の置かれている状況をも言い表しているように思えるからだ。人間の本質とは、一種の混合主義である。最も優れていて、最も人間らしい感情とは、この地衣類のようにコンピュータと生物が融合した状態から生まれるのだと僕は思う。つまり、欲望と理性がぶつかり合って一つになり、己の限界をわきまえながら好奇心、関心、告発、驚き、そして畏敬といった感情をほとばしらせるのである。」
「会話をするコンピュータプログラムの歴史には、プログラム自体にもそれを開発した人間にも数多くの個性的な『キャラクター』が登場するが、《イライザ》にまつわる物語も面白い。来談者中心療法〔来談者(患者)への指示や診断をおこなうのではなく、セラピストが共感を示すことで気づきや成長を促す療法〕のセラピストをモデルに開発された《イライザ》の原理は実に単純で、ユーザーが自分で入力した言葉からキーワードを抽出し、文章として返す(「わたしは不幸せなの」「ここに来ることで不幸せから逃れるための手助けが得られると思う?」だけだ。) なにを話せばいいのかわからなくなると「話を続けて」のようなきわめて汎用的な言い方をすることもある。ユーザーの文章を決められたパターンに当てはめて、あらかじめ用意された表現で返答する―『テンプレート照合』と呼ばれる―それが《イライザ》の唯一の能力だった。
にもかかわらず、結果は驚くべきことだった。《イライザ》が最初に開発されたチャットプログラムであり、メモリや処理能力はゼロに等しく、わずか二〇〇行のコードで書かれていることを考えれば、信じがたいとさえも言える。初めて《イライザ》と会話した人々の多くは、本物の人間と会話していると信じて疑わなかった。」
この結果、製作者であるワイゼンバウムは、《イライザ》の開発を取りやめ、キャリアを捨てて、方向転換した。恐ろしくなったのである。そして、自らの研究結果を批判した人たちを応援し、AI研究に反対する科学者となった。
「AIの登場は、労働市場における感染症や癌—その病名は『効率性』である―などではなく、一種のうじ虫療法〔うじ虫に壊死した細胞を食べさせ、傷口を治療すること〕だと考えればいい。AIは人間らしさを失った部分だけを食べ尽くし、人間を健康に戻してくれるのだ。」
「あらゆる意味の経済性を否定するという芸術家の意志表示」
「『君が“行き詰まる”と呼ぶものを、僕は作曲と呼ぶんだよ』と彼は瞳を輝かせながら話した。」
「ある程度の期間なにをするか学んだら、以後はやることがわかっているのだから、ただ実行するだけと考えがちだ。優れた役者とは、そのような考えを断固として受け入れない役者である。そう考えたときには死んだも同然だ。ロボットに取って代わられる。」
「僕にとって、定跡とは人生の象徴に思える。ほとんどの会話やチェスの対局と同じように、だれの人生も最初と最後は同じであり、そのはざまに、わずかだけ違いを生み出せる時間がある。揺りカゴから墓場へ。胚から灰へ。そのはざまで、人間は火花を散らすのだ。」
結局、いわゆる「ちょっと頭おかしい」言動が、実は最も人間らしい、という結論が面白かった
とにかく情報量が多かった
これ一冊で、5,6冊分くらいの内容がありそう
パンデミック小説
恐怖の対象が明らかになった途端、どうにも、興味が薄れてしまった…
なんでかな…
登場人物の誰にも、心を魅かれなかった…
こういう物語では、現場の真田広之と政府側の佐藤浩市、そして悪役に三木プルーンの人が必須なんじゃないのかな…
高級料理を、ここまで言語化できるんだ…!ということに、まずびっくり
そして、探偵役が全く魅力的じゃないことにも、驚かされました
内容は、「このジャンルでそう来たら、最後はそこに行くよね…」という…
それにしても、表紙と中身のギャップが半端ない
戦国時代を背景に、殺された父親の仇討ちを誓った無双の少年が、超絶美形の鬼に憑りつかれ、旅に出たところ、脚を怪我した異国人の美少女と出会う、という少年漫画風の物語だった気がする
私だけかな、何度見ても、表紙のイラストがなんだか残念に感じるのは…
これは面白かった
目からウロコでした
表紙はアレですが…