森羅万象-合理性=乙女
今日もいいお天気です。
冷蔵庫のコンセントの接続が悪くて電源が落ちたので、そのままにしていたら、冷凍庫の霜の塊が、気持ちいいくらい見事にはがれてくれました。
だからなんだと言われると、困るのですが。
先日、また、友人に、私の乙女度を指摘されました。
彼女は、私がピンクの財布を愛用しているのを見て以来、何かと「ノアコ(仮)さんは、絶対乙女だと思う!」と指摘してきます。
彼女の乙女の定義は、森羅万象-合理性=乙女、ということらしく、つまりは無駄を愛する心こそが、乙女心というわけで、「乙女」と「ファンタジー」と「地に足がついていない」は、彼女の中でほぼ同義のようです。
まぁ、そうくくられると、確かにその引き出しに自分が丸ごとおさまる気がします。
(UB市内にて)
昔、ヤリツソザイという人がいた
『耶律楚材』(下)読み終えました。
あまりの面白さに、上巻に引き続き、一気に読み終えました。
金に滅ぼされた契丹の王族の子孫として生まれた、楚材。
金の宰相であった楚材の父は、モンゴルがいずれ台頭してくると読み、金一国のためでなく、天下国家に有用な人物となるようにという願いを楚材に託す。
父の予見通り、小国の小競り合いは、やがてチンギス・ハーンという稀代の天才を生み出した。
あらゆる学問に秀でた楚材は、天文の専門家として、チンギス・ハーンの元で仕えることとなる。
・・・というのが、簡単なあらすじです。
それにしても、「野蛮人」とか「残虐」とか書かれて、ハーン以外のモンゴル人がとにかくひどい。
この本では、モンゴルが世界の最果てみたいに描かれていて、
「あーあ、可哀想に。祖国から引き離れて、こんな遠い、野蛮な国に連れてこられて・・・」
と、涙ぐみながら、ハッとして、
「いや、ちょっとまて。これって、私が今いるココだよ。」
と気付くのでした。
耶律楚材は資料が豊富、と作者があとがきで書いているとおり、とにかく情報量が半端じゃない。一文に、よくこれだけ詰め込められましたね、というくらい、知らない単語が溢れかえっていました。
まぁ、女性目線でもう一つ感想を述べるとすれば、楚材には、妻が二人おり、その生涯において、常に愛妻である後妻と行動をともにしたのですが、長年離れて暮らした妻が亡くなったとき、
「『蝋燭の火が消えたようだ。ふっと消えた。・・・・・・風もないのに』
楚材は呟いた。
『でも、あなたにとっては、どこかで灯っていなければならないあかりではなかったでしょうか』
と貞エンは言った。
『どこかで・・・・・・』
ことばの途中で、楚材は嗚咽をもらした。」(本文より)
なんでしょう・・・。全く、共感できませんでした。
どこかで、蝋燭の火みたいに灯ってるだけで、良しとされる妻、しかもそれを後妻にズバリ指摘されてるなんて、切なすぎると思うのは、私だけ?
死んでも死にきれんわ。
ここで男性だったら、うるっとくるんだろうか?
後半、カタカナの名前が乱立してきて、頭の整理が追いつかなくなりました。
最後に「チャガタイ殿下、薨ず。の訃報が入った。」という一文を読んだ時は、チャガタイなどとっくに死んでるつもりで読んでいたので、
「え?まだ生きてたの?」
と、一番びっくりさせられました。
面白かったのは、皇后トゥラキナのあっぱれな悪役ぶり。
彼女が黒ければ黒いほど、いさめる楚材が光っていました。
蝋燭の火みたいに消えていく女性もいれば、シャンデリアみたいにえげつなく輝いた女性もいた時代だったんですね。
天下国家のため、孤高に生きた楚材。
彼はやがて、次のような心境に至ります。
「『こんな世の中になった』素材はぽつりと言った。漢人も、契丹も女真もイスラムもない。あるのは人間らしさに、どれほど近いか、ということであった。」(本文より抜粋)
「人間らしさにどれほど近いか。」
結局は、そこだよな。
と、なんだかとても納得したのでした。
パペット、ポンタンの悩み
こんばんは。週末です。
写真はこないだ買ったアイスです。
ロシアから来たものは、美味しいし、その上、パッケージデザインがとってもかわいいですね!
ついでに説明すると、パソコンの奥で、打ち伏せっているのは、レッサーパンダのパペットです。
「何かの役に立つかな」と思って持ってきたのですが、ここの子供達に見せたら、それはそれは大喜び。
名前を聞かれたので、とっさに「ポン太郎のポンタン」と答えました。
歳を聞かれ、
「えっ、じゃあ、3歳」
誕生日を聞かれ、
「ええっと、じゃあ、クリスマスの12月25日・・・」
以来、ここの小さな子は、私がポンタンと一緒に生活していると思っていて、私が日本へ一時帰国する際には、このパペットも私と一緒に行くと思っています。
子ども達が作ってくれたので、ポンタンには、イニシャル入りの服も、カーディガンも、パジャマも、帽子も、ソファーベッドも、洗濯機も、お風呂も、トイレもあります。トイレには、恥ずかしくないように、ちゃんと扉も付いています。
ポンタンの悩みは、以前、「タヌキだ」と言われ、とっさに「タヌキじゃないよ!アライグマだよ!」と答えてしまったことです。後で調べたら、レッサーパンダでした。
以来、なかなか本当のことが言い出せず、このあいだ、将来の夢を聞かれたときも、つい、
「立派なアライグマになることです」
と、答えてしまいました。
子供たちに、本当のことを伝えるべきか・・・。
悩んでいます。
モンゴルで読む『耶律楚材』
今日も、昼から4時過ぎまで停電。
そのお陰で、私の中で、色々と予定が狂ってしまったけど、それもまたよし。
一日に、これとこれとこれをやる、と決めてみたものの、やっぱり思い通りにはいかない。
そのくせ、好きなことだけは、きっちりかっちり終わっていく。
毎日、結構バタバタしているのに、寝転んで本を開くと、気付いたら、あっという間に引き込まれて、一時間も二時間も経っている。
昨日は、こちらの上巻を読み終えた。
モンゴルで読む『耶律楚材』、最高。
こういうとき、自分がなんて贅沢なんだろう、と思わされる。
至福です。
生ぬるいままに、ひとまず一ヶ月
この一月、毎日更新を目標に生ぬるくやってきましたが、どうにかこうにか達成することができました。
このような、新しい発見も、新鮮な感性もないブログを、わざわざ時間をさいてお読みくださった方、コメントを下さった方、そして励ましてくださった方、お互い本当に暇ですね!いや、違った、ありがとうございました!
今後も気付いたことや書かずにいられないことがあれば、こちらにちょくちょくアップしていきたいと思います。また、時には、FBにアップすることもあるかもしれません。
お立ち寄りいただけましたら、幸いです。
ひとまず、一ヶ月更新の目標達成できたことと、皆様の友情に心から感謝を込めて。
ありがとうございました~!
(外国人向け日本語テキスト)
私的シュリーマンメソッド
なかなか上達しないモンゴル語に業を煮やした私は、15ヶ国語を操ったというシュリーマンの勉強法をまねてみることにした。
といっても、あの苛烈な暗記法ではない。
町中に立って、大声で看板文字などを読み、通りすがりの人に訂正してもらったというシュリーマンに倣って、食後の食堂で勉強してみることにしたのである。
そして、通りすがりのモンゴル人に「今、暇?」とか、「ちょっとここ教えて」とか、声をかけて、教えてもらう。
ありがたいことに、皆、めちゃくちゃいい人たちで、私の前の椅子に座り込み、非常に熱心に教えてくれる。
中には、早口すぎて、全然聞き取れない人もいる。
そういうときは、どうしようもないので、ごめんなさい、と思いつつ、聞き流している(おい!)。
なぜか、私に教えることに使命感を持ってくれている小さい男の子がいて、毎日、私が座るやいなや、テキストを読み聞かせしに来てくれる。
自分もまだまだ下手くそなのに、私に「ここは、Oが二つ!」とか言ってくる。
とても和む。
面白いので、とりあえず一月くらい、続けてみようと思う。
(見事にデフォルメされた、ナルトのパチモンアイス「友達」。)