ナオコの旅

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テリゲリーンハーンチラル教会の思い出

先日、T先生から、「テリゲリーンハーンチラル教会について、どんなことでもいいから書いてほしい」という依頼を頂き、思いつくまま書いたのが、こちらです

せっかくなので、こちらにもアップしときます

 

『クリスマスパーティの思い出』

ウランバートル13地区にあるテリゲリーンハーンチラル教会。

そこでは、人々は皆、手を挙げたり体を揺らしたりしながら、自由に賛美する。

メッセージ中に子供が走り回っても、誰も何も言わない。自由であることが当たり前すぎて、「自由」だと意識さえしない、そんなモンゴルらしい教会である。

アフガニスタン人の学生さんたちもたくさんいて、彼らはいつも英語訳を通して、メッセージを聞いていた。

 

思い出すのは、2015年のクリスマスパーティだ。

その頃、教会には私を含め、3人の日本人がいた。エネルギッシュな70代のTさんと、友人Sさんである。

クリスマスの一週間前、突然、日本人で出し物をと依頼された。だが、うろたえたのは私一人で、器の大きな二人は「どうにかなる」と動じない。結局、練習どころか打ち合わせもしないまま、当日を迎えた。

不安な私は、日本語の聖歌やワーシップの楽譜を持参したが、共通で歌える歌が見つからないままパーティの開始時間になり、Sさんは予定があるからと帰宅。

万事休す。

70代のTさんとアラフォーの私、おばさん二人で、こんな時、一体何をしたらいいんだ…。

他の人たちたちは、ダンスパフォーマンスやヴァイオリンのソロ演奏やらを華麗に披露し、拍手を浴びている。

出番が近づき、うろたえまくる私に、Tさんが「カチャーシーを踊ればいい」と言い出した。

カチャーシーって何です?」

「沖縄の踊りでね、とーっても簡単ですよ。ただ、両手をあげてたらいいんです」

「両手を? 音楽は準備してるんですか?」

「準備はしてないです。でも大丈夫ですよ」

「!?」

とか言い合ってるうちに、いよいよ出番が近づく。

私達の前は、アフガニスタンの学生さんによる民族舞踊だった。テンポのいいダンス音楽にあわせて、彫りの深いアフガニスタンの学生達がエキゾチックなダンスを披露。実に妖艶だ。やがて彼らのダンスがバシッと決まって、会場は拍手喝采に包まれた。

「次は日本チーム!」

と声がかかる。

「ほら、行きますよ!」

謎の確信に満ちたTさんに、中央に引っ張り出された。

もうどうしたらいいのか、全く分からない。

Tさんは、そんな私を置き去りにして、音響担当のところへ行き、さっきと同じ曲をかけてくれ、と頼んでいる。

何度かやりとりを繰り返しているところを見ると、頼まれた男の子も(あのクールな曲とこのオバサン達に、一体何の関係が?)と思っていることがアリアリだ。だが、Tさんの力強さに、魔法にかけられたように、先ほど外したばかりのアイポッドを繋げ直してくれた。

流れ出す妖艶なミュージック。

ああ、泣きたいほどそぐわない。

「さぁ、踊って!」

とTさん。

もう、やるしかない。

仕方なく、両手を挙げ、曲にあわせて、それっぽく揺れてみる。死にたいくらい恥ずかしい。これで合ってんのか、と、恐る恐る隣を見れば、平良さんは、沖縄県民の本領発揮、カチャーシーをチャカチャカ踊っている。やがて、観衆の周りを練り歩き始め、皆に、

「ハムト!ハムト!(一緒に!一緒に!)」

と声をかけ出した。

Tさんの声に釣られて、一人、また一人と立ち上がり、皆、思い思いに踊り出す。

やがて、全員が輪になって楽しげに踊り始めた。

もう、会場は熱狂の渦である。

最後は、皆で手を取り合って、ぐるぐる回ってダンス。めちゃくちゃ楽しい!

やがて、曲が終わり、皆、満面の笑顔で、喜び合っている。

Tさんが、私の方を見て、

「ね?大丈夫だったでしょ?」

と笑った。

「そうですね」

と笑い返した。最高に楽しいクリスマスパーティだった。